#伝記、自伝

紅白黄梅咲く一夜庵

俳祖山崎宗鑑終焉の一夜庵

芭蕉の歌人化(芭蕉の俳句を立句に付句)

芭蕉 新年の句 二八句 f@ff@ f@試 ① 春立つや新年古き米五升 貞享元年 ② 元日や思へばさびし秋の暮 天和三年 ③ 元日は田毎の日こそ恋しけれ 元禄二年 ④ 於春々大なる哉春と云々 延宝八年 ⑤ 庭訓の往来誰が文庫より今朝の春 延宝六年 ⑥ 誰やらが形に似たり今…

ちと用ありてあの世へ

宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと言へ 俳祖・山崎宗鑑の辞世の歌と語り伝えられている。 風狂と反骨に生きた宗鑑らしいすっとぼけた味にあふれている。 暗い諦観や悟りじみた辞世が多い中で、諧謔に満ちて明るい歌に仕立てられている。 …

観中一年生一夜庵訪問

琴弾・一夜庵訪問、郷土文学遺跡学習 一夜庵で俳句を三句作る。そのうち一句を帰校後、短冊に清書する。

一夜庵(宗鑑終焉の地)

俳諧の祖「山崎宗鑑」終焉の地 【一夜庵】 香川県観音寺市八幡町興昌寺境内

観中一年生の一夜庵学習の予定

昭和30年1月26日(金)午後 総合学習 郷土史研究班16名 ① 琴弾八幡宮鳥居前集合 ② 石段登る ③ 木の鳥居 ④ 山頂の歌碑・詩碑 ⑤ 坂道降る ⑥ 観音寺・神恵院 ⑦ 興昌寺「一夜庵」で学習・俳句作り ⑧ 帰校して整理・報告書提出

興昌寺

香川県観音寺市 三架橋 北300メートルに禅宗興昌寺(俳跡一夜庵)がある。

宗鑑・宗因ほか

宗鑑終焉の一夜庵

日本最古の俳蹟「一夜庵」

バーチャル連句「宗鑑・芭蕉両吟」

【バーチャル連句】 宗鑑・芭蕉両吟「かきつばた」の巻 起首 平成二十年五月十日 満尾 五月二十三日 発句 有難き姿拝まんかきつばた 翁 夏 脇 呑まんとすれば湧く岩清水 宗鑑 夏 第三 いざさらば句碑見にはやる心にて 芭蕉 雑 四 つんぬめりたる竹薮の径 鑑…

宗鑑終焉の一夜庵

禅宗の古刹興昌寺

俳諧の風景

禅宗東福寺派 興昌寺

宗鑑筆『万葉集』三首

1978首もあるので走り書きになっているが、間違わず書き字配りもいい。 山崎宗鑑が筆録した『新古今和歌集』の中から『万葉集』の歌三首を抜き出す。 人 丸 333 秋はきのさきちる野への夕露にぬれつつきませ夜は深ぬとも 柿本人丸 346 さをしかの入野のすす…

宗鑑筆「三夕の歌」発見

かねて見たいと思っていた宗鑑自身の書いた「三夕の歌」を紹介しておく。 「宗鑑流」という流麗な書風である。 題しらす 寂蓮法師 さびしさはその色としもなかりけりま槇たつ山の秋の夕暮 西行法師 心なき身にもあはれは知られけり鴫たつさはの秋のゆふ暮 …

宗鑑の書『新古今和歌集』

『新古今和歌集』(小学館・新編日本古典文学全集) =底本に宗鑑筆の善本を使用して、簡明な『新古今和歌集』注釈書=『新古今和歌集』の注釈・鑑賞書は、主なものでも30種ある。 本書の本文は、山崎宗鑑筆の筑波大学所蔵本を底本としているところが、他…

宗鑑「貸し夜着」の句の解釈

貸し夜着の袖をや霜に橋姫御 宗鑑 この俳句に関して、森安華石の松尾宗石宛はがき(昭和26年11月29日消印)には 次のように記されている。 猪熊先生の句解は、古今集に「さむしろに衣かたときこよひもや我をまつらむ宇治の橋姫」とあるより出したと 宇治の橋と…

宗鑑の遺墨直筆

平成二十四年度(予定)秋 放送大学 剣持雅澄担当 講演題目 俳祖山崎宗鑑の遺墨 講演要旨 俳諧の始祖山崎宗鑑の書は宗鑑流と称され、県内外に今なお受け伝えられている。その実態把握は十分ではない。筆跡鑑定は難しいが、内容を検討する中で見えてくるものは…

岡田利兵衛氏の書簡

岡田氏には、俳諧の始祖宗鑑(一夜庵)俳諧資料を持って行かれている。 岡田 利兵衞1892~1982)は国文学者。号は柿衞。聖心女子大学名誉教授。伊丹市名誉市民。江戸時代より続く酒造業を営む岡田家に生まれる。 戦前に伊丹町長、戦後は伊丹市長を歴任し、戦…

俳祖山崎宗鑑の句碑

日本最古の俳跡 香川県観音寺市八幡町興昌寺境内一夜庵(宗鑑終焉の地) 宗鑑の住んでいた一夜庵 (4回建て替え) 貸し夜着の袖をや霜にはし姫御 宗鑑

一夜庵への小径

まだ残る萩の葉に心奪われて

一夜庵パトロール

(昭和25年) 創庵四百年紀念の三句 風ちるは・・・一夜庵 幽石 (井上義勇。観音寺町出身。薬師寺、盛福寺住職。 白雲窟と語す。昭和6年5月28日入寂、行年72歳) 月に語る庵の由来四百年 琴邨 (長尾房治、観音寺町の人。多年教職に在り、南画、 洋画、彫刻、…

宗鑑の句碑

俳祖山崎宗鑑は一夜庵(観音寺市興昌寺境内)が終焉の地である。この庵の前に宗鑑の直筆短冊(興昌寺蔵)の俳句を刻んだ句碑がある。 かし夜ぎの袖をや霜にはし姫御 宗鑑 この句の本歌は『新古今和歌集』の「橋上ノ霜といふことをよみ侍りける 法印幸清 片敷の…

俳祖山崎宗鑑終焉の「一夜庵」の風景

上下客来ぬ庵萩の色づきぬ 雅舟

宗鑑忌(文化の日)

本日11月3日、宗鑑没後456回忌の法要、俳句会が行われた。 山崎 宗鑑(寛正6年 ~天文22年10月2日)は、戦国時代の連歌師・俳諧作者。近江国の出身とされるが、本名・出自については諸説あり定かではない。現在、終焉の地観音寺市興昌寺では11月3日を忌日と…

虚子一夜庵に来る(大正14年5月20日)

下記の証言に感謝します。 【参照】 一 夜 庵 の 記 高 浜 虚 子 ー俳誌「ホトトギス」(大正14年7月号)に掲載された記事ー 山崎宗鑑がこゝに住まつて居つたといふ庵が、今でも讃岐観音寺(地名)の琴弾公園の山の中腹に残つて居る。観音寺(梵刹)の上…

宗鑑の忌日は定かでない。

『367日 命日大事典』(日外アソシエーツ)に記されている 山崎宗鑑 7月22日命日 これは正しくない。 真珠庵過去帳「宗鑑」を山崎宗鑑と信ずれば、それでいいが、断定はできない。

~西讃を歩く~宗鑑と一夜庵

~西讃を歩く~ 1 宗鑑と一夜庵 一夜庵は俳祖山崎宗鑑が晩年を過ごした草庵である。室町末期、興昌寺の住職梅谷和尚を頼って、京阪山崎から移り住んだ。遺筆として、当寺に紫金仏勧進帳(本堂再建の寄付集め趣意書)徳寿軒宛の書簡、「貸し夜着の袖をや霜に…

何の確証もない俳祖「山崎宗鑑の墓」

観音寺市八幡町興昌寺山頂に「山崎宗鑑御墓」の表示はあるが、 確たる証拠はない。 ただそう信じているだけである。 宗鑑の墓に花なき涼しさよ 虚子 左右の墓は誰のものか、まったく分かっていない。

一夜庵への道

一夜庵への道 ~俳諧への招待~ 〔早苗塚〕 琴弾八幡宮鳥居横 早苗とる手もとやむかし志のふ摺 はせを 芭蕉が「奥の細道」の旅の途次元禄二年詠んだ発句。 この直筆短冊を小西帯河が持っていたのを一茶の師二六庵竹阿の指導でここに刻んだ。後に再建されて…