歌仙・西行
夢の月 宙にかかりて 三豊富士 雅舟 空海や西行の禅定 朝烏 雅舟
桜紅葉と西行伝説歌
西行の伝説歌。西行は善通寺まで来ているが、伊予(愛媛県)まで足を延ばしていない。
善通寺五岳 我拝師山 その麓に水茎の岡「西行庵」がある。
西行が讃岐三野津で詠んだ歌 『山家集』所載
⋯昔僧西行遇此地【懸衣】⋯
西行がいほりせし跡希典がうえしホルトの繁り居り今 中川与一 「水茎の岡 西行庵」(山里庵) 説明看板 曇りなき 山にて海の 月見れば 島ぞ氷の 絶え間なりける 『山家集』
山ざとにうき世いとはん友もがなくやしく過しむかしかたらん 西行上人 西行上人庵跡
平成21年建立 「西行庵」再建20周年記念碑
40年前の西行伝説松 愚息が写して持って帰れり
願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃 西行
3月23日 夕方 23 友引(甲寅) 旧暦 2/7 月齢 5.6 http://www.ajnet.ne.jp/diary/moon/7.gif http://www.ajnet.ne.jp/diary/99.gif 24 先負(乙卯) 旧暦 2/8 彼岸明(春) 願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃 西行
西行の登りし山の善通寺五岳は私の借景にして 雅舟 『山家集』に詠まれし四国善通寺我拝山は右端の山 ↑
西行、白峯へ 前日まで吹き荒れた風はなぎ、瀬戸は鏡のように穏やかに波静かで、小春日和の温かさです。怒濤を乗り越えて讃岐へ渡ると言えば、この場にふさわしいのでしょうが、海人小舟はゆるるかに流れていくのです。沖に出ると潮の流れで左右に揺れなが…
西行芭蕉を慕う 10首 漂泊の歌人俳人代表す西行芭蕉慕ひ来たれり もののふの系譜を断ちて歌道俳道その奥極め尽くさんとせし 不毛なる物欲利欲捨て去って文学美学に遊びし人よ 愚劣なる政争よそに人間の至純を求め道究めたり 物質と現象の虚仮知る故に心の平…
愛媛香川県境余木崎の西行伝説歌碑ある余木崎神社
愛媛・香川県境に西行伝説歌 忘れては富士かとぞ思ふ これやこのいよの高嶺の峯の白雪
敷き渡す月の氷を疑ひてひびの手まはる味鴨の群鳥 西行『山家集』 香川県三豊市三野町吉津に歌碑あり
京極大政大臣中納言と申しけるをり菊をばおびただしきほどにしたてて、鳥羽院にまゐらせ給ひたりけり。鳥羽の南殿の東面の坪に、ところなきほどに植ゑさせ給ひたりけり。公重の少将、人々すすめて菊もてなされけるに、加はるべきよしありければ、 君が住む…
譲位を命じられる悲運の崇徳院 百人一首77番 瀬をはやみ岩にせかるる滝川の 割れても末に逢はむとぞ思ふ 崇徳院 この歌を院が直接詠ずるのを御簾越しに承る 佐藤義清(後の西行) 未来を予測し、感じることの多い北面の武士(歌人)西行
起 猫を抱く西行 承 文武に秀で、眉目秀麗の西行 転 密かに西行の憧れる意中の人 結 待賢門院の女房中最も優れた歌人 (清盛第五回より)
(清盛第四回より) 北面の武士、佐藤義清(憲清とも)。清盛と同年永久6年生まれ
同じ年に生まれた両巨頭、日本一の歌聖西行、武人平氏棟梁清盛の比較論。 西行は崇徳院との交流があった。高野山での修行。23歳で出家遁世。歌僧として一生を送る。『山家心中集』についで名品『山家集』の完成。 清盛は保元の乱、平治の乱、清盛の勝利、…
讃岐に流された崇徳院の菩提を弔いに来た西行。 源平の争い、その武士の世に背を向けた 隠遁の生き方でありました。 歌碑の数 西行は全国で 203 基 香川県に69基(全国の三分の一) 崇徳院は全国で19基、香川県で18基(ほとんどが香川県) 清盛の歌碑は、1基(堺…
「平清盛」が始まったが、その友人佐藤義清【西行】に興味がある。 武士の身の上を捨てて出家、歌僧となって放浪した西行の生き方を敬慕している者にとって、武士の世を築いた清盛には心を惹かれる何ものもない。ただし、今回はのドラマは、文武の在り方をか…
西行の古跡 月見よと芋の子どもの寝いりしを おこしに来たが何か苦しき 西行上人 ここは、善通寺市吉原町乳薬師(七佛薬師) 芋畑伝説(善通寺市水茎の丘)月夜に芋掘りに来た西行を咎めると、歌を返して許されたと伝えられる。この近くには「西行庵」が残され…