慶長遣欧使節とは今から約400年前、仙台藩主【伊達政宗】が仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、イスパニア国王およびローマ教皇のもとに派遣した外交使節。 使節に選ばれた家臣【支倉常長】は、宣教師ルイス・ソテロとともに、仙台藩内で建造された洋式帆船「サン・ ファ ン・バウティスタ」で太平洋を渡った。常長はメキシコを経てイスパニアに至り国王フェリペ3世に謁見、さらに ローマに入り教皇パウロ5世に拝謁した。しかし、幕府のキリスト教弾圧などから目的を達することができず、7年後の1620年、仙台へと戻った。政宗は容認していたキリスト教弾圧に踏み切る。常長はその後どうなつたか、
定かではない。52歳で静かになくなった。