政宗と常長、そして芭蕉

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伊達政宗  1636年6月27日(寛永13年5月24日)没 (享年70歳) 
慶長遣欧使節とは今から約400年前、仙台藩主【伊達政宗】が仙台領内でのキリスト教布教容認と引き換えにノビスパニア(メキシコ)との直接貿易を求めて、イスパニア国王およびローマ教皇のもとに派遣した外交使節。  使節に選ばれた家臣【支倉常長】は、宣教師ルイス・ソテロとともに、仙台藩内で建造された洋式帆船「サン・ ファ ン・バウティスタ」で太平洋を渡った。常長はメキシコを経てイスパニアに至り国王フェリペ3世に謁見、さらに ローマに入り教皇パウロ5世に拝謁した。しかし、幕府のキリスト教弾圧などから目的を達することができず、7年後の1620年、仙台へと戻った。政宗は容認していたキリスト教弾圧に踏み切る。常長はその後どうなつたか、
定かではない。52歳で静かになくなった。
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        芭蕉は『奥の細道』で元禄二年五月九日(新暦六月二十五日)、松島に到着、まず、伊達 政宗が再興に精魂を傾けた瑞巌寺に参詣、各伽藍の拝観に時間を費やした。
     曽良随行日記に「九日 午ノ尅松島ニ着船。茶ナド呑テ瑞岩寺詣、不残見物。ソレヨリ雄島所ゝヲ見ル」とある。

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