松尾芭蕉と伊能忠敬


       松尾芭蕉伊能忠敬、その旅の形

 この取り合わせは誰も考えたことがないであろう。俳人と沿岸測量者。江戸時代の人であっても元禄時代と文化文政の隔たりがある。文学者と地理学者。国語科と社会科の違いがある。今ここで、両者の違いを論ぜよと課題を出せば、相当違和感を感じられるであろう。同じ江戸時代の著名な文化人であっても、同じ俎上に乗せてその功績を比較対比することの意義は考えられない。ただ、私だけの恣意で両者を「江戸時代の旅」という観点から、どれほどの乖離があったか、なりふりかまわず探ってみたいと思う。
 芭蕉はほとんど生涯を旅から旅への明け暮れが続く。その旅毎に俳諧の句境を深める文学者であった。忠敬は西洋天文学を学び、幕府に出願して全国を測量して、我が国最初の実測地図を作製、献上した。
 芭蕉は私費の旅で、旅先で門人等の接待を受けながら俳諧の道に精進行脚している。忠敬は公費の出張で、いわゆる旅とは言えない沿岸測量大移動であった。
   どちらが真の旅であったか、それは愚問であろう。芭蕉の旅に匹敵する旅らしい旅(漂泊)はないはずであり、
忠敬の忠誠を尽くした実測作業の移動はおよそ旅の範疇には入れ難い。ただ、故郷を離れることを度と呼ぶのなら、それも広い旅と呼んでいいのかもしれない。

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