この取り合わせは誰も考えたことがないであろう。俳人と沿岸測量者。江戸時代の人であっても元禄時代と文化文政の隔たりがある。文学者と地理学者。国語科と社会科の違いがある。今ここで、両者の違いを論ぜよと課題を出せば、相当違和感を感じられるであろう。同じ江戸時代の著名な文化人であっても、同じ俎上に乗せてその功績を比較対比することの意義は考えられない。ただ、私だけの恣意で両者を「江戸時代の旅」という観点から、どれほどの乖離があったか、なりふりかまわず探ってみたいと思う。
どちらが真の旅であったか、それは愚問であろう。芭蕉の旅に匹敵する旅らしい旅(漂泊)はないはずであり、
忠敬の忠誠を尽くした実測作業の移動はおよそ旅の範疇には入れ難い。ただ、故郷を離れることを度と呼ぶのなら、それも広い旅と呼んでいいのかもしれない。