西行が四国へ渡ったコースは?

富士正晴著『日本の旅人西行淡交社令和元年刊 昭和48年の復刻版

「身を捨ててこそ」「つひに住むべき都かは」「死出の山を越えて」の三部からなる西行評伝である。四国への旅が図解もあり分かりやすかったので、拙著には参考になった。児島から讃岐に渡って来るのに、時計回り説と反時計回り説に分けて諸説を分けたのがよかった。ご自分は白峯に直行する説にくみする。西行の旅立ちの衝動の因は、やはり崇徳院の跡を訪うことにあるのだから、先に白峯御陵の跡へと西行を急がせる。

 また、「みのつ申す津につきて」を海路ではなく、陸路三野津に着いたとみる。三野津(吉津)は良港であったということまでは触れていないが、この辺の地名については考証している。それはさておき、西行はここから帰路に立つというコース、時計回り説に与している。

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