「俳諧は三尺の童にさせよ。初心の句こそたのもしけれ」と残しているのは芭蕉。「小豆島時代には『小学生ミチル句集』なるものを見出したことがある。
「西鶴という人は二万翁と言われ、一昼夜に二万句を作った。卒業までに一万句くらい作れるかな」と言うと「やってみる」と二つ返事。二年生のある日から、俳句日記に番号がつき出した。卒業式ぎりぎりに達成できた。小学時代、ほかに何も形あるものは残していないが、10000句の俳句と昭和60年刊『句集 銀河』471句が残っている。
その中から十句を選んでみた。変に大人びた句と齢相応の句とがる。とにかく粗製乱造。評価を気にしてまとめられたものでは決してない。次に抄出した十句は俳誌『ホトトギス』児童の部(稲畑汀子選)に載せられた五年生の時の作品である。
野道ゆくぼくの前には春がある(二年春)
人間もみかんも同じすばっていく(三年冬)
麦の親お日さまだろか雨だろか(四年夏)
冬の月両手の中に入りそう(四年冬)
初夏の風木もれ日ゆらし葉をゆらし(五年夏)
手ぶくろの花咲き乱れる通学路(五年冬)
父の留守待てずあけたる春包み(六年春)
夜汽車の灯蛙の声の中へ消え(六年夏)
制服のままで熟視をちぎりけり(六年秋)
お歳暮のいつも同じの面白さ(六年冬)
小学5年生「ホトトギス」入選句抄
秋とかげ体に似合わぬ大きな手(一月号)
笑み栗の中身からっぽまだ笑う(二月号)
手ぶくろもにげ出しそうな寒さかな(五月号)
登校す枯れ葉一枚追いかけて(五月号)
寒月やレモンのようにすっぱそう(六月号)
わらび取るおじさんと会い立ち話(八月号)
当直や兎のえさに菜の花を(八月号)
初夏の風木もれ日ゆらし葉をゆらし(九月号)
そら豆をふんずけさがすボールかな(十月号)
雷がからだをよぎり空よぎる(十二月号)