ここで言う「二人の隆」とは、『長崎の鐘』の永井隆と「知の巨人」とされる立花隆を指す。
永井隆は明治41年2月3日松江市生まれ。昭和7年長崎医科大学卒業。日中戦争動員。
昭和20年8 月9日長崎医科大学病院本館にて被爆、負傷者の救護に当たる。『この子を残して』『長崎の鐘』を発行。昭和26 年5 月1日死去。43歳。
立花隆(本名、橘隆志)長崎医科大学で生まれる。昭和17年父の北京勤務のため一家で北京へ。100冊の本を書く。次世代へのメッセージ我が原点の広島・長崎から
昭和21年4月30日死去、81歳。樹木葬。
立花隆は永井隆の作品をセンチメンタリズムとしてあまり評価しなかった。