永井隆著『この子を残して』より

子に向かってもらした言葉



 いわしから先に食うか? 大根からにするか? よい物から先に手をつけろ!
 いつ死ぬかわからんから……。
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 旅に出たら一流旅館に泊まれ! その町のいちばんいい点がわかる。木賃宿に泊まるのもよい。その町のいちばん悪いところが知れる。
 友を選ぶなら、いちばん善人を選べ! そしていちばん悪い人も加えろ! 教えられる。
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 桜も植えたいし、南瓜もならせたいし。――桜は南瓜にはならぬものかネ?
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 まかぬ種が生えると気味が悪い。まいた種が生えないと落ち着かぬ。――殺したようでネ。
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 こうして寝てばかりいると、縦の物を横に見て暮らすわけだが、たまに座って眺めるまともな世間も美しいものヨ。
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 赤い大はさみを振りかざし、横行しているかに――あれで正しいつもりなんだからナア。ところが、赤と横歩きとが新しい真理だと思って、わざわざ真似している者もいるんだって……ふふふ。
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 買いかぶられるのは、胴上げされるようなものだ。いつ落とされるか、気が気じゃないよ。
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 有名になるな! 名前なんてものは、茶の間で、あめ玉がわりに一分間しゃぶられるだけのもの。
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 ろうそくが短くなると、いまにも消えるか? とそのほうにばかり気を取られ、仕事の手につかぬ人がいる。いくら心配したって寿命は延びないのに――。
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 本を読んでいるときに来る見舞い客は決まったように、「お退屈でしょう」と言う。日本人が本を読むのは退屈なときだけかねェ?
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 いちばん欲しいものは――時間。
 その惜しくて惜しくてたまらぬ時間を、善意の訪問客に横領される。
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 私の写真の出ている新聞紙を便所の中で見つけると、名を売った罰だと思うね。
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 ほう、うまく掛かったの? 太いねずみだネ。賢そうな顔をしているが、……ついにご馳走にだまされて、一命をおとすとは――。
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 一流になる見込みのないことに手を出すな? 手を出したら一流になるまでやれ!
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 電灯が消えたぐらいのことで、いちいち、アッと声を出すな! お父さんなんか原子爆弾が落ちた時、泰然腰を抜かしておったゾ。
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 節約すべきは金ではない。時間と労力よ。
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 科学とは真理に恋することさ。
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 梅・すいせん・寒らん――寒さをしのいで咲く花はゆかしい香りをもっているね。どうも楽な季節に咲く花は、人目を引くばかりで。
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 決心は一生に一度しかするものではない。毎年元日に新しい決心をする人があるが、あれは儀式サ。
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 開拓者はさんざん苦労したあげくの果て、死んでいく。うまい汁を吸う役は後に控えている。
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 肉体の苦痛なんて他愛ないものよ。我慢すりゃしのげる、死んだら止まる。
 霊魂の苦痛は、とても自分の力だけでは、なおらぬ。おまけに死んだって消えない。
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 罪を犯さぬ聖人の霊的苦痛は深いものだろうねェ!
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 告白のとき同じような罪ばかり思い出すものだが、――案外、自分の気のつかぬところに欠点があるのじゃないか?
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「ありがとう」の一言で決算をすませる気にもならぬので、……ご恩を借りておこう。
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 ひとさまの施しを素直に受け取れるまでには、なかなかの修業がいるものだ。
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 こうして寝ておれば、悪い遊びもできないが、善いこともせぬものよ。
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 再建というのは天主堂を建てたり、家を建てたりすることじゃないよ。私らの信仰を建て直さなきゃ――。
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