リチャード・フラナガン著『奥のほそ道』

 

「死の鉄路」泰緬鉄道建設。その過酷な現場に居合わせたオーストラリア人捕虜たちと日本の司令官たちの極限状態での生活、破綻しそうな精神状態を冷徹な視線で描く。雨季のジャングルのどうしようもない湿気、泥の中でもがくように死んでいく人々。そして、物語は戦争が終わっても終わらない。戦争が終わっても、彼らの生活が終わるわけではないからだ。また、この話は、戦争についてだけ書かれているのでもない。戦争による喪失と、愛の喪失。優しさ、偽り、暴力、嘘、狂気、欺瞞、そういったものからなる心の闇。その闇の、なんと深いことか。(nao)

  印象的な場面がある。仲間の捕虜を火葬する場面とヒロポン漬けの日本軍少佐ナカムラがコウサ大佐と語り合う場面だ。二人は捕虜の首を斬り落とす情景を微細に生々しく語ると同時に、一茶の句の純朴な知恵、蕪村の偉大さ、芭蕉の見事な俳文精神の神髄について熱く論じる。鉄道建設は「日本人の精神の高尚な面を体現する」ためのもので、北の奥地を切り開く線路こそ芭蕉の美と叡智をより広い世界へ届ける「奥のほそ道」であるとするのであった。

 五つの断章のはじめには、内容を暗示し、黙示するような俳句一句が小さく載せられている。
(第1章) 牡丹蘂(しべ)ふかく分(わけ)出(いず)る蜂の名残哉  芭蕉 
(第2章) 女から先へかすむぞ汐干(しおひ)がた  一茶 
(第3章) 露の世の露の中にてけんくわ哉  一茶 
(第4章) 露の世は露の世ながらさりながら  一茶 
(第5章) 世の中は地獄の上の花見かな  一茶