失礼ではないか、ホトトギスが鶴の姿に劣るとは⋯同行の曾良の句とはいえ、共感して「鶴に身を借れ」を紹介する芭蕉。自分は松島の美観に圧倒されて『奥の細道』最高の場面で一句も遺していない。「松島やああ松島や松島や」としか詠めなかったとなじられていいのか。
芭蕉はホトトギスの声のみ聞いて、姿かたちをよく見ていない。この写真のように愛くるしい姿・まなざしに接していたら、必ずや一句や二句できていたはずである。昔を懐かしむような懐古的な声、キョキョ、キョキョ、キョキョのリズムrhythmに気圧されて、姿形を忘失・棄却してしまったホトトギス観。杜鵑・時鳥・霍公鳥・沓手鳥⋯⋯
姿影を見せないように天翔ける美声の鳥。【時鳥=時を刻む鳥】の形象化された松尾芭蕉の松島での詠み損ねた一句は⋯⋯〈松島やちちははほとけほととぎす〉