自分の『随筆無帽』歴

  

同人誌高木白主宰『随筆無帽』に37年間計469号 を連続掲載した。原稿を出すのを遅れたこともないし、一号も欠かしたことはない。内容はともかく、真面目な同人であったと思っている。

昭和49年9月131号~平成25年10月600号⦅終刊⦆その後、早くも10年が経つ。 

①その中で、ごく初期【昭和50年代】の文学修業時代の随筆を題名のみ列記しておく。

小豆島点描、津軽空想旅行、北杜夫の原質、声なき挽歌、蟇歩く、巨星落つ、樋口一葉不惑芭蕉、私の風景、高村光太郎の彫像、矢を放つ人、国語の中、詩のある文、転宿、夢野の鹿、夢の風景、用字法、発見、外来語について、ことわざの中の親子、葵子、文学の中の節子像、西行と頼朝、残照の中に、一庶民の墓誌西行恋歌、身近な死、ふるさとの碑、阪神ファン、姉妹、文学の中父子、地名、ことば習得の男女差、一兵卒、濁点、スクラップノート、父と子の風景、節分、三月三日の日記、幻の風景

  以上40 編で15分の1。あまり面白くない国語国文関係の雑文であると見られようか。

それでも自分の忘れ形見として抜粋仮綴じをして、若かりし頃を懐かしむことになろうか。題名からすれば「残照の中に」と題してどんなことを書いたのだろうと読み返したくなる。⋯⋯山陽新聞夕刊スペシャルに先生の記事が書かれているのをお読みして、ついなつかしくペンを取りました⋯⋯新任時代、土庄高校 豊島から通学していた戦争孤児の日出子であったことを思い出した。その記事を下に掲げる。昭和54年4月刊「随筆無帽」186号「残照の中に」全文である。

  その②  晩年の随筆 平成16年~平成25年  ここでも毎月書き続け120編、その中で40
編の題名のみ挙げておく。  讃岐流浪、人麻呂の沙弥島、母から教わった教訓、香川県内の西行伝説、旧正月の年賀状、ものを言うお地蔵さん、道問えば、筆ペンで万葉集、鈴の歌、予讃万葉線、誘蛾灯、観音寺、四国は島か、方言の魅力、都鳥は万葉の鳥、万葉未来塾桑山小学校、芭蕉句碑、さらば教壇、のつごはん、バーチャル連句国学の風景、自己紹介、万葉土讃線、蔭膳、先輩文庫、絶唱さとうきび畑」、老人勉強力、万葉植物園、ワークショップ、逆縁、誕生日の花と花ことば、頑張る、澄む、死ぬ、変わる、歩く、食む、改める    この中で「四国は島か」の全文と新聞紹介を挙げておく。

  ◎ 各新聞地方版に数十年間、同人誌の作品を継続的かつ好意的に紹介・批評してくれて励みになった。今や、このような記事はほとんど見かけない。