早苗とる手もとや昔しのぶ摺 芭蕉
「奥の細道」の途次、芭蕉の詠んだ発句を句碑にしたもの。
「早苗塚」…芭蕉の「翁塚」に総括してくれてもいいですが、当方では特別に「早苗塚」と称しております。
所在地は、香川県観音寺市琴弾八幡神社境内、一の鳥居横です。
毎回紹介しておりますように「早苗とる手もとやむかししのぶ摺 はせを」の真跡を刻んだ句碑です。
この「塚」に関しては、調査・考証中で、確証を提示する段階ではありません。
安永4年(1775年)の古記録には次のように書かれています。
「施無畏の山の叢林に土を荷ひ石をはこびて一基の塚なりぬ」
「早苗塚」…芭蕉の「翁塚」に総括してくれてもいいですが、当方では特別に「早苗塚」と称しております。
所在地は、香川県観音寺市琴弾八幡神社境内、一の鳥居横です。
毎回紹介しておりますように「早苗とる手もとやむかししのぶ摺 はせを」の真跡を刻んだ句碑です。
この「塚」に関しては、調査・考証中で、確証を提示する段階ではありません。
安永4年(1775年)の古記録には次のように書かれています。
「施無畏の山の叢林に土を荷ひ石をはこびて一基の塚なりぬ」
(小西帯河「早苗塚」序文)
この石は半ば土に埋もれた福島の「しのぶもじずり石」を意味していると思われます。 この「一基の塚」が、はたして句碑の建つ一郭を指すのか、裏山の小丘を指すのか。前者であると断定できません。句碑の借景のようにある花崗土も当時相当の苦労をして、琴弾の山土を盛ったかもしれません。いずれにしても、この周辺は、二六庵竹阿(一茶の師匠)が治定した所で、俳聖芭蕉「翁塚」の場所としてはこれ以上ない絶好の場所です。
この石は半ば土に埋もれた福島の「しのぶもじずり石」を意味していると思われます。 この「一基の塚」が、はたして句碑の建つ一郭を指すのか、裏山の小丘を指すのか。前者であると断定できません。句碑の借景のようにある花崗土も当時相当の苦労をして、琴弾の山土を盛ったかもしれません。いずれにしても、この周辺は、二六庵竹阿(一茶の師匠)が治定した所で、俳聖芭蕉「翁塚」の場所としてはこれ以上ない絶好の場所です。