宗鑑と宗祇の接触はわずか

純正連歌師宗祇と俳諧師連歌師宗鑑との接触は極めて少ない。

延徳二年(1492)3月3日摂津における千句連歌(池田家主催)72歳宗祇中心、宗鑑の句も出ている。宗祇にとって俳諧連歌は、あくまでも余技であって、ほとんど交流していない。第九代将軍足利義尚連歌の師ではあったが、長享3年(1489)3月26日将軍陣没には参じていない。出家前の宗鑑は近似していた。

『 新撰 菟玖波 集 』を 編纂 、芸術的な 正風 連歌を確立。  は『 新撰犬筑波集 』を編纂、娯楽的・庶民的な 俳諧 連歌を確立した。