過去50年間、1日も欠かさず日記を書いてきた。必要以外読み返したことはない。もういつ死んでもおかしくない米寿になってみると、断捨離しようかとも思うし、一部でも抜き書きしておきたい気もする。18,250日の18250頁のどこを抜き取るにもあまりにも膨大。他人に紹介するのも憚られるものばかりか、何か参考にでもなることがたまにはあるのかどうか知らない。例えば、ちょうど40年前の昭和59年12月10日の頁には次のように書かれている。
○○子の家庭訪問。この子は義母にかかっている。甘やかされているのか、もう学校をやめると言っているらしい。母が学校に来て訴えるので、やむをえず家庭訪問と相なった。(中略)辻小学校を初めて寄り、父の最後の勤務校ゆえ感慨無量。この丘は、この木は父を知っているはずと思うと、なぜか懐かしい。満蒙開拓青少年義勇軍の中隊長として昭和17年3月私たち母子4人を内地に残し渡満した。現地へ香川県内200人の少年を連れて満洲へ3年間の現地訓練のためであった(三豊開拓移民の基点基地であった因縁による。〈完全に誤った国策の犠牲〉