「俳諧は三尺の童にさせよ」 周知の芭蕉の言葉 「俳諧の華は新しみ」と言った芭蕉の「新しみ」を獲得するには子どものように邪念のない眼と好奇心が必要である。素直さ、初心に返ることが大切なのだ。 「日に新しく、また日々に新しく」
「誹諧は中人以下のものとあやまれるは俗談平話とのみ覚たる故也。俗談平話をたゞさんが為なり。拙きことばかり云を誹諧と覚たるは浅ましき事なり。誹諧は萬葉集の心也。されば貴となく賤となく味ふべき道也。唐明すべて中華の豪傑にも愧る事なし。只心のいやしきを恥とす」 「遺語之部」(芭蕉の言葉)の冒頭「祖翁口訣」
精神の高さ・深さ・純粋さ 「風雅の誠」
近世では,ときの教学としての儒学とりわけ朱子学がもてはやされた結果〈誠者天之道也〉(中庸)の考えが広まり,〈誠〉は天地自然を生成運行する根源的ないし人間の諸活動の源となる創造力の原理・本体として位置づけられるようになった。
芸術の分野では,あらゆる対象の中に宇宙の生命(小宇宙)を認め,その生命と感合することで自己の本性を明らかにしようとする芭蕉の〈風雅の誠〉論あるいは〈まことの外に俳諧なし〉(独ごと)と喝破した鬼貫の俳諧論を生み出している。一方、賀茂真淵は歌論で心に思うことを理・非理にとらわれることなくそのまま表現すべきだという〈歌の真言〉説を主張している。

観一教員時代・昭和58年12月18日(日)の日記帳より抜粋→昼芭蕉句碑彫る。プロで鎚と鑿買って来て一日かけて「堂飛人」3字やっと。「我名呼はれん初しくれ」とまだまだ大変。