樟樹とともに母校111年

 明治35年母校創立当初校庭に植えられた100本の樟樹が今、このように亭々と繁っています。 
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    樟樹とともに111年
 
 昨年は母校創立百十周年記念でした。そして、今年は創立以来111年ということになります。明治三十五年三中校舎が現在地に建てられた時、校庭に百本の樟の苗木が植えられたことが、当時の写真で伺えます。今は観一の三階校舎を越えるほどに成長しています。松のようにあまり枯れたりはせず、植え替えたりして七十本ほどが命脈を保っています。
 母校のシンボルは何かと問われた時、ためらいなく、この樟樹を挙げるのが普通ではないでしょうか。新年度を迎える頃、古い葉が落ちてその清掃には新入生を含め在校生が手を焼いていると聞きます。過去の一時期、コクリートで固め、樟の樹勢を悪くして、またコンクリートを剥がしたと聞いています。やはり、地面は土のままがいいのでしょう。それで、濡れ落ち葉などは始末が悪いようです。それでも、放っておくわけにはまいりますまい。いろいろ差し障りがあっても、母校の象徴である樟は伐採しないよう温存してほしいと願っています。最近は寺社境内の樹木をやたらに切り込むことが当たり前のようになっているようですが、我らが母校の樟樹は無神経に伐採しないよう願っています。
 樟樹はまさに「校樹」であります。校歌、校旗が学校の象徴であるように、矜持高く、かけがえのない母校のシンボルであることに間違いはないでしょう。「我らに燃ゆる希望あり」「我らに高き矜持あり」「我らに重き使命あり」の校訓碑が樟樹の中に建てられていて、何か厳めしい気がしますが、何のことはない、この樟の樹の亭々と空に聳えているだけで、何も理屈は要らないという気がします。卒業して何十年も経つと恩師もほとんどいなくなり、校舎も建て替えられていて、母校への親しみが湧かないものですが、せめてこの樟樹があることで慰められるというものです。地元に住んでいても次第に馴染みは薄くなりますが、樟樹には逢いにゆきたいものです。母校には「百周年記念館」があって、同窓生の出版物を保存してくれています。いわゆる「先輩文庫」と言われるものです。卒業生が自分の本を出版した場合、その一部を母校に寄贈し、在学生または後輩の卒業生に読んでもらうようなシステムになっています。それで我々がちょっとした自分史のようなものまとめた場合、ぜひ母校先輩文庫係宛に自著を届けたいものです。現在五百冊ほど集められていて、読もうと思えば誰でも読めるようになっています。同窓生がどんな本を書いているか、その内容のあらましを知ろうと思えばその本のあらましをまとめた小冊子ももらえます。