十五歳の事故死

      はかなきは、十五才の事故死
 金毘羅さんに行く途中、二宮坂の道沿いにある教え子の墓参をした。
 高校一年生時、交通事故死した女生徒(森桂子)である。
 昭和42年12月18日、学習塾からの帰り、トラックに敷かれたのであった。
 両親が身も世もあられぬほど悲しんだのは言うまでもない。検視に裸体を写真に撮られる場に立ち会った無念さをこぼされたのを思い出す。母親はそれがもとでか十年後57歳で亡くなった。父親は平成5年81歳まで生きられた。「死にし子顔よかりき」と『土佐日記』の作者が娘の死を悲しんでいるが、本当に桂子さんは可愛く美人であった。勉強もよくできた。学級委員でもあった。そのような彼女を悼んでクラスで追悼文集を作って、墓前に捧げた。もちろん、担任の私がまとめ役をしたのだが、あの時からクラスの者たちの心が通じ合ったように思う。その文集を捜すのは大変だ。ガリ版鉄筆の手作りであった、あの文集は今手元には置いていない。あれから44年経つ今、だれが彼女のことを思い出すだろうか。生きていたら、定年一年前だ。少女のまま逝った森桂子さん。
 「好学桂雲信女」「行年十五才」…なんという淡々とした墓碑銘だろう。