阿留辺幾夜宇和

明恵』寺林峻
 
 この小説は明恵上人の一代記である。明恵は鎌倉前期の華厳宗の僧。厳密に言えば僧籍にはなく、上人(聖)であった。紀州有田の生まれである。
 この小説では幼名を薬師丸、京都の神護寺明恵坊」で文覚の教えも受け修業を積む。 「早十三歳になりぬ。すでに年老いたり。死なむ事近づきぬ」ということを書きとめている。 その後、清滝川に沿った都賀尾の十無尽院に居を移す。「いま明恵は一人歩きを始めた。具足戒を授かって十六歳」(挿絵付き)そして精進一筋の明恵の樹上座禅像が伝えられる。瞑想に耽る姿はまさに聖者である。
 明恵を象徴する言葉は「人は阿留辺幾夜宇和と云う七文字を持つべきなり」。人はそうアルベキヨウを生きるのがよいという意味である。これは文覚の「自分でなければなせぬ生き方をせよ」との教えでもあった。明恵は華厳の動的な静謐さ、瑞々しさ、澄明さ、清冽さの中で六十年の生涯を閉じたのだった。