伊予路筋の文化の高さ

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 香川県西の果て箕浦に一里塚があり、愛媛県に入ると四国中央市川之江に伊予街道一里塚がある。   ここは一茶が寛政年間に通過したところ。芭蕉西行も 訪れていないのに、芭蕉の句碑が建てられたり西行の伝説歌があったりする。それだけ俳諧和歌等文学熱の盛んな土地柄で あることが分かる。11号線国道筋で喧騒な位置にあるとはいえ、この伊予文化人の意識の高さに敬服する。..
 四国中央市川之江には、江戸時代に建てられたの一里塚碑と芭蕉句碑が並んでいる。土地の人の心の優しさ、奥ゆかしさの現れである。

    このあたり 目に見ゆるもの みな涼し   芭蕉

     建立者 志隆・車龍・龍淵(祖父・父・子) 江戸時代末期文政年間
 
 (余禄) 平成22年2月23日
 一里塚は江戸時代のものです。芭蕉は歩いたかも知れませんが、中世西行の時代には一里塚はありませんでした。それでも、今車のほとんど通らない古街道(旧国道)はかろうじて残っています。そんな道を最近発見して歩いております。香川県最果ての「箕浦」駅東【四ノ松神社】一里塚→「豊浜」【須賀一里塚】→「柞田」【出在家一里山】→「本山」【寺家一里山】→「高瀬勝間」【六ツ松一里松地蔵】9時~15時 4里(16キロメートル)途中いろいろなものを見ながら歩くと、退屈しませんでした。
 惜しむらくは、文学碑がないこと。自分で句をひねり、歌を紡ぎ出さねばなりませぬ。