人麻呂と古今集

『『古今和歌集』の謎を解く』織田正吉
 
 人麻呂に関する仮名序の記述が誤りだということを合理的に批判したのは、契沖である。その論拠は次のように要約される。

(1)人麻呂は持統・文武朝の人物にまちがいない。平城天皇の時代(「ならの御時」)は人麻呂より百年後である。
(2)人麻呂の名は正史『日本書紀』『続日本紀』などに記録されていない。記すに足りない低い身分であったからであろう。
(3)『万葉集』の題詞は『養老律令』の定めるところに従い、人の死については身分により次のような表記の書き分けをしている。
   親王・三位以上の死:薨
   四位・五位・皇親の死:卒
   六位以下、庶人の死:死

 契沖の説を継いで、真淵は次のように述べた。
(『古今集』仮名序は)人丸(人麻呂)も奈良のころまで在りし人とおもへるにや、云ふにも足らぬ事也。正三位と書けるはより所もなき事也。これ、必ず貫之の言にあらじ。(中略)おほよそ人まろの歌は万葉集にのみ見ゆる也(『古今和歌集打聴』)

 現行の学説には、『古今集』仮名序にいう「正三位」を全否定せず、「正三位」「六位以下」を両立させようとするものもある。生存中、微官であった人麻呂に「正三位」が追補されたとする説明である。
 仮名序のいぶかしい記述については、仮名序偽書説を登場させることになる。山田孝雄がその疑念を出したのは昭和11年のことであった。
 著者は、仮名序の誤りが人麻呂に集中していることに不審を抱き、論を展開している。