「耐乏」の時代を待望する

『老いの一喝』上坂冬子
 日本人としての心のたたずまいを糺す本である。
我慢して耐えるしかほかに方法がない状況の到来を、著者は切望していた。耐乏精神は努力で身につくものではない。耐える姿勢が固まったところで、善悪の基本をばかばかしいほど単純に教育してはどうかと提案している。
 サクラ読本で育った者は、修身の時間に「死んでもラッパを離しませんでした」という木口小平の反対側のページには、よその家にボールを投げ込んだ少年が、詫びに行った様子が絵付きで示されていた。
 後の陽明学中江藤樹が、藩に仕える身で、仕事中に家に立ち寄って一休みしようとしたのを、母親が激しく叱って追い返した話も載せられていた。
 このように「物事のケジメ」を私たちは「単純明快に」叩きこまれて育った。
 今、へ理屈ではなく、耐乏精神が育ち、人間を鍛えなおす方向に進むことを期待している。
 先年逝去された「気概の人」