中城ふみ子の歌碑

   善通寺市吉原町、出釈迦寺の上に中城ふみ子の歌碑が建てられている。 
 
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「短歌研究50首詠募集」の第1回目の受賞者となったふみ子は大きな注目を浴び、中央歌壇への華々しい登場という夢を実現。
ふみ子は1942年に国鉄勤務の博と結婚。夫の転勤で48年6月から49年4月までの約10カ月、高松市内の旧国鉄官舎で暮らし、多くの歌を残した。その後、1952年4月、左乳癌手術切除。1953年10月、右乳癌手術切除。その後、癌は進行をやめることはなかった。

中城ふみ子(なかじょうふみこ)  (1922―1954)

歌人北海道帯広市の出身。東京家政学園卒業。本名野江富美子。乳癌(にゅうがん)のため1954年(昭和29)札幌医大に入院。入院中『短歌研究』の第1回五十首詠に応募し、『乳房喪失』が入選。奔放な生への情熱と、非情な自己客観が騒然たる反響をよび、のち渡辺淳一によって小説化された。入選4か月後、31歳で永眠。帯広に歌碑がある。
  音たかく夜空に花火うち開きわれは(くま)なく奪はれてゐる
                     『日本大百科事典』  (執筆者:菱川善夫 )より