宗鑑「貸し夜着」の句の解釈

  
  貸し夜着の袖をや霜に橋姫御   宗鑑
 
 この俳句に関して、森安華石の松尾宗石宛はがき(昭和26年11月29日消印)には
次のように記されている。
 
 猪熊先生の句解は、古今集に「さむしろに衣かたときこよひもや我をまつらむ宇治の橋姫」とあるより出したと
 宇治の橋と愛(これもハシとよむ)とをかねたる也。しかして「霜にはし」とは霜にはしたなものになったといふをかけたるか、冬の季題にてよんだるまでの発句。
 貸夜着の袖も霜の為めにつまらぬはしたなものになったといふと、かはいい娘といふいふをかねたるのみと存候。
 山崎宗鑑忌今少し地方の人、振はなければならず候。
 
  (注) 森安華石氏は三豊市詫間町在住、102歳まで生きた盲目の俳人
 
  一夜庵 興昌寺の境内にあり、俳諧の始祖とされている。
  山崎宗鑑が二六年間住み、終焉を迎えたといわれる。
  山崎宗鑑句碑 八幡町興昌寺境内一夜庵東     昭和32年12月建立

   
   貸し夜着の袖をや霜に橋姫御     宗鑑
  【句意】貸衣装の夜着の袖を霜に濡らしている(遊女)橋姫さんよ。
  【本歌】片敷きの袖をや霜に重ぬらむ月に夜がるる宇治の橋姫(新古今集
  【作者】俳祖山崎宗鑑は、天文22年(1553)89歳で没した俳諧師
      晩年を一夜庵に過ごしたと伝えられる。一夜庵の名の由来は次の歌
      による。〔出身地滋賀県草津市と終焉地観音寺市姉妹都市である〕
        上は立ち中はひぐらし下は夜まで一夜泊まりは下々の下の客
   辞世(伝承歌)…宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へといへ
 
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