センバツ球児の溌溂姿(10首歌)

甲子園この歴史と伝統の息吹に集う溌溂若人

勝敗にこだわらぬなど論外なり勝つためにのみ生きているのに

負ければ終わりこの春センバツ始まって熱こもりたる球児の春に

県下より出場しない年にして隣の県の徳島を応援

卯月などいう姓の選手ありて珍しい名を見るも楽しい

全国より地方地方の代表校応援ありてセンバツ盛り上げ

初々し全国球児の溌溂と幾十年経ってもfreshそのもの

一校一校消えていく運命最後には一校どこが残るのか知れず

一球一打渾身のプレー弛みたるプロの選手と雲泥の差あり

一日の一試合毎に消えていき最終戦に残るはどこか 

 

 

 

 

「飲」10首歌

飲む呑める喜びありて動物の生きている間の天与の幸せ

飲み物は飲むための液体のみならず個体人間色々あって

飲み屋とは酒を飲ませる小店にて場末居酒屋ちょっと一杯

飲み潰すほどにならずに飲み潰れるはどで止めたい呑み助たちよ

飲食店酒は出るのか出ないのか肝心なこと看板にない

飲酒運転厳禁厳罰絶対忌避何も言うことごさりませぬ

愛飲の秘蔵酒ありて夜の更けて無上の仕合せ君にもあるや

試飲利酒舌がいくらあっても適わず全国銘酒色々

鯨飲牛飲暴飲痛飲底なしの奴さんぽっくり逝きぬ

溜飲を下げるとまではゆかないがほっとすること時にあります

  💛半月を盃にして酒飲まむ花吹雪あらば更に幸運

 

3月19日誕生日の花と花言葉歌句

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3月19日誕生日の全国35万人の皆さん、おめでとうございます
         
      (拙句) しだれ梅しだれ桜と継ぐうれしさ  雅舟
      
  【花】シダレザクラバラ科)  【花言葉】 優美
  
 【短歌】朝に匂い昼にたゆたい夕べには優しく佇てりシダレザクラよ 
      天から降り注ぐような樹齢数百年のシダレザクラを見たことがあります。朝は春の香りを漂わせ、昼間は柔らかな風にゆられ、夜には明かりに優美な姿を現しました。
                
【季語】 枝垂れ桜(糸桜・滝桜) 
          
【俳句】 まさをなる空よりしだれざくらかな    富安 風生

     樹の洞に千年の闇たきざくら          野澤 節子 

     糸桜雲のごとくにしだれたる       下村 梅子

 【三行詩】 しだれ(枝垂れ)うめ(烏梅)・さくら(作楽)

       ウメ・サクラそのものよりも大和言葉を楽しむ

       兼好流に花見などに行かないで降り暮らしたい  
  
 【万葉歌】さにつらふ妹を念ふと霞立つ春日もくれに恋ひ渡るかも
                                
 
 【3月19日 誕生日の有名人】
      リビングストン(1819) 豊田佐吉(1867) 森田草平(1881)
    時雨音羽(1919)  福永武彦(1918) 小野田寛郎(1922)
   里見京子(1935)  朱里エイコ(1948)  稲森いずみ(1972)  

     ~今日も一日佳き日でありますように~

令和 歌仙 三吟(5)

森のふくろう歌仙(5)「早春に」の巻 三吟

早春に芽吹き始めた草木かな   光瀧

 歳を取らない雄雛と雌雛    雅澄

露払ひ宮司の後に従って     雅博

 言行一致春優男         澄

意味深長難攻不落有頂天      博

 心の瞳夢見る夢子        澄

野心とは影に過ぎない影の影    博

 覆面をして竹馬に乗る      澄

世を払う鞍馬天狗の大団扇     博

 縁起ヤツデの剪定で怪我     澄

若かれとサプリを飲んで腹痛め   博

 食べるところが多過ぎテレビ   澄

未来像マンガの世界現実に     瀧

 鳥さんまる子寂しくなるね    博

阿波路ならどこでも花見男子会   澄

 酒は飲め飲め油井断酒会     博

ボーリング地下からオイル湧出す  澄

 俄か成金羨望の的        澄

トランプは裏でつながるプチプトン 博

 相合傘でノーベル賞を      澄

地蔵さん雪冷たかろう蓑着せて   博

 お前言うなよわしは言わぬが   澄

揺れる的与一が鏑射きったる    博

 敵味方なく喝采春景       澄

満願で労使共々むえびす顔     博

 囮となってキックバック憐    雅

馬一頭世界一蹴青い波       博

年を重ねて四角から丸       瀧

内外の目を三角にするは世事    澄

 飾りに見せて矢弾飛び来る    博

 

学生時代

 森滝一郎先生は原爆実験反対運動の座り込みで有名な教授だった。被爆していて、片眼が見えなくなっていた。物理学の岡崎先生は「森滝先生がいくら座り込みしても、アメリカは実験するのであります」と冷ややかに批判的なことを言っていた。

 市内の平和公園に架かる平和大橋の設計はイサムノグチであるとのことで父と同じ名なので親近感を覚えた。この公園には「安らかにお眠りください。過ちは繰り返しませぬから」と刻まれた原爆慰霊碑がある。この文の主語は何か取り沙汰されたことがある。この記念碑にあの眉目秀麗のネール首相が参拝されたことがある。どうしても目の前に見たくて、群衆を押し分けて目前まで行き、その優しいほほ笑みを見た。無抵抗主義ガンジーの流れを受け継ぐ世界平和主義者の、その優しい視線を忘れることができない。

 平和記念会館での文化講演では、湯川秀樹野上弥生子などの話を遠くから聴いたりもした。学部の講義にはあまり魅力を感じなかったし、苦痛であった。日本文学全集・世界文学全集は一通り読んだ。当たり前のことで、専攻は国語学国文学なので、もうそれ以上は深入りしようとは思わなかった。卒業論文と言えるものは書けていない。教養部の岩佐正先生の指導で「平家物語の女性について」書いたに過ぎない。教育学部高校教員養成課程の人たちとほとんど同じ講義を受けたが、自分たち文学部文学科の学生は、一般社会への就職へ道は開かれていたが、ほとんどが中学高校教員になった。自分も地元の香川県で高校教員となることに落ち着いてしまう。

「ふるさとは遠くにありて思うもの」と歌った室生犀星の金沢に憧れて、石川県の採用試験は満点であったという自信がある。受けるだけは勝手だと持って、長崎県岡山県にも合格通知をもらっていたが、すべて断らざるをえなかった。地元香川県でうまくいかければという用心のために教員採用試験は余分に確保しておいた。長崎県五島列島の高校から打診の電報をもらって、最果ての島に赴任するのもおもしろいとは思ったが、これは空想に終わってしまった。父それでもが玄界灘を越えて大陸満洲に渡った勇猛果敢な心を再体験する余裕はなかった。

 何はともあれ、高校教員免許証を取得さえすれば、その素養としての専門知識を身に付け、全国どこにおいても国語教師になれる。文学教師として過ごすことができれば、それで十分である。全国に通用する免許証一枚を基にして、自分の好みで採用試験に臨んだ。

「ふるさとは遠きにて思うもの、そしてかなしく歌うもの」の室生犀星の金沢、石川県に早々と合格、長崎県岡山県も合格通知をもらったが、母親を一人残して地元香川県をはなれることは出来ない相談だった。なんの迷いも無かったのだが、若き日の一時の夢としてはどこにでも赴任できる態勢だけは整えておきたかった。

 進学も就職も東京は眼中になかった。アンチ東京、中央集権に対する片意地なレジスタンス。そんな浅はかなでナンセンスな抵抗も故郷帰納で、終止符が打たれた。

 自分の選んだ人生の節目、節目に悔いも挫折もない。目標を高く持ちすぎて、こんなところで挫折してたまるものか、そんな達観とも妥協とも言える選択があった。大切なのは、その後の生の軌跡に自己研鑽が必要なので、スタートラインがどこに引かれようと、それを運命と受け容れることであると信じていた。現実の状況を認識しての判断の誤りは困るが、お大きな狂いさえなければ、これからの自分を長い目で見ていて下さいと軽く言うしかないのであった。