宮沢賢治の【業の花びら】
宮沢賢治の人間認識を表すことばは「業の花びら」であることを最近のNHKの報道番組で知り、納得した次第です。人間のなす行為は善悪いずれでありましょうや。善のようでもあり、悪のようでもあります。それは一体誰が決めるのでしょうか。善業とは普通使わないで、「悪業(あくごう)」と使うことが多いですね。「何の因果か、こうなってしまった」とも使います。善悪の因があって、善悪の果となる、そんな因果の法則のようなものがあるような気がします。大体が思いがけない結果となって辛く悲しい「悲色」とでも申しましょうか、それで人生の諸行、所業のはかなく、それでも美しく花びらのように大空に舞うのです。どうにもなりませぬ。ただ見つめるだけ、振り仰ぐだけ。それでも【業の花びら】と人生を喩える賢治の言葉は深くて、美しいです。日本の詩人の神髄をを象徴する言葉として、私は私としてこの言葉に心が奮えております。
(令和5年5月25日・85歳)