『高瀬舟』を知らなければ高瀬川で溺死しますョ

高瀬舟森鷗外の名作・短編小説

1916年大正5年)1月、「中央公論」に発表された。江戸時代の随筆集『翁草』(神沢杜口著)の中の「流人の話」(巻百十七「雑話」:神澤貞幹編・池辺義象校訂(1905-6年刊)『校訂翁草第十二』所収)をもとにして書かれた。財産の多少と欲望の関係、および安楽死の是非をテーマとしている。前半は「知足」、後半は「安楽死」について問いかけている。

  (冒頭)  高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である。 徳川時代に京都の罪人が遠島を申し渡されると、本人の親類が牢屋敷へ呼び出されて、そこで暇乞いをすることを許された。 それから罪人は高瀬舟に載せられて、大阪へ回されることであった。 それを護送するのは、京都町奉行の配下にいる同心で、この同心は罪人の親類の中で、おも立った一人を大阪まで同船させることを許す慣例であった。 これは上へ通った事ではないが、いわゆる大目に見るのであった、黙許であった。 当時遠島を申し渡された罪人は、もちろん重い科を犯したものと認められた人ではあるが、決して盗みをするために、人を殺し火を放ったというような、獰悪な人物が多数を占めていたわけではない。 高瀬舟に乗る罪人の過半は、いわゆる心得違いのために、思わぬ科を犯した人であった。