一夜庵への道

 
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  一夜庵への道 
      ~俳諧への招待~
〔早苗塚〕 琴弾八幡宮鳥居横     
 早苗とる手もとやむかし志のふ摺                                       はせを
 芭蕉が「奥の細道」の旅の途次元禄二年詠んだ発句。
この直筆短冊を小西帯河が持っていたのを一茶の師二六庵竹阿の指導でここに刻んだ。後に再建されて今に至っている。 創建=安永四年(一七七五年)
        再建=天保十年(一八三九年)
 
 〔一夜庵への道標〕三架橋北東路傍
     北三丁下々のやどあり一夜庵
 大正十四年春、大森卯平建立、一句の作者は石井臥風(朝太郎) 元三女校長である。
 
〔松浦坐石句碑〕 総持院境内
   暁や水鶏の叩く夢の底  坐石
 「一夜庵中興二世」と肩書にある。昭和十二年五月十八日、七十六歳で亡くなる夜明け方に詠んだ辞世の句。二年後の八月琴弾俳壇門弟たちによって建立された。
 
〔宗鑑句碑〕興昌寺境内一夜庵前   かし夜着の袖をや霜に橋姫御 宗鑑
 昭和三十二年地元有志によって建立された。興昌寺保存の宗鑑直筆短冊句を拡大して刻んだもの。本歌「片敷の袖をや霜に重ぬらむ月に夜かるゝ宇治の橋姫」(新古今集) 。短歌の俳句化の嚆矢とみることのできる貴重な一句。句の内容よりも、俳句形式の先鞭として文学史的意義がある。 
 
 〔一夜庵の謂われ〕
    上は立ち中は日暮らし下は夜まで
          一夜泊まりは下々の下の客

 〔辞世の歌〕
    宗鑑はどちへと人の問ふあらば
         ちと用ありてあの世へと言へ
 
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