説明を必要とするのは【介】である。碑蔭には「ひとりだち」と刻まれている。
これを見ないで「なかだち」と理解する人が多い。ふだん「介護」「介助」「介入」と使われていることから、「仲立ち」と受け取るのは当然である。であれば、そうではなく「独り立ち」という意味なのだと説明する責任がある。
単に一つの中学校の校訓にしてしまうにはもったいない。【和】と【介】が一セットとなり、佐藤一斎の『言志四録』が出典となっている名文句である。ただ【和】が分かり易いのに対して、【介】は多義性があって定義づけが必要となる。それをしないで、これが校訓だと放置できない。つねに、繰り返し説明していないといけない《厄介》な語であること当事者はとくと承知してほしい。教育の根幹として「協調」と「自主性」は共に大切にしてほしい要件である。まちがって【介】を「仲立ち」と受け取ると、【和】との違いがなくなる。
学校時代だけでなく、一般に我々が生きていく人生一般の教訓としても、よくまとまっている。
【和】=なごやか 【介】=ひとりだち 【健】=すこやか