玉藻城の石垣修理終わる。

  玉藻城   (高松城)  
 玉藻城の由来は『万葉集』で柿本人麻呂が讃岐の国の枕言葉に. 「玉藻よし讃岐の国は国からか見れども飽かぬ」(巻2ー220)と 詠んだことに因んで、この辺りの海が玉藻の浦と呼ばれていたことによる。
 この度、崩れかけていた石垣の修理がほぼ終わった。
 
イメージ 1史跡水城高松城址は石垣だけが命であります。  
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         瀬戸内海の海水を入れた数少ない水城であります。
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