時代には遅れよ

『正しく時代に遅れるために』有栖川有栖
 
 タイトルのもつ効果を考えると、本書は意表を衝いたおもしろさがあり、ちょっと読んでみようかという気にさせられる。
 まず、巻頭に挙げた「六段階の距離」の紹介…すべての人間は〈六段階の距離〉でつながっている。言わんとすることは知り合いの、知り合いの、知り合いというふうにたどっていくと、世界中の誰とでも六段階以内でつながっているという心理学者の説である。
 肩の凝らない身辺雑記、映画・漫画から文楽・能まで古今の文化に言及した幅広いエッセイを集めている。推理作家、推理小説評者としての複眼的眼差しもあって、「この人、古いのか新しいのか、どちらかというと新しいのか」と判断に迷うところである。
 そこのところ、その微妙なところをテーマにし、表題にもしたところが本書のねらいどころと見たい。小見出し「時代遅れということ」では、本格推理小説など〈時代遅れ〉とそしられていることに反論して、こう締めくくっている。
 おかげで皮相な進歩史観の虚妄を知り、「古い、新しい」と騒ぐ人間を信じなくなった…進歩史観こそ時代遅れです。
 小見出し「時代遅れ」を愛して…十代から著者の好みは、本格推理小説とハードロックであるという。名探偵が鮮やかな推理で謎を解くスタイルの古風な推理小説。そして、どぎつさが多くの年長者の顰蹙を買い、短い期間でかげを薄くしたハードロック。しかし、両者とも、現在も命脈を保ち、しぶとく生き延びていると強調している。
 169頁小見出し「正しく時代に遅れるために」こそ著者万感の思いをこめた主題文だと思われる。

 「時代遅れ」その言葉に、私は青春の日を思い出す。それを聞くたびに、若返る心地さえする。正しく時代に遅れてみせよう。
 
 古くならないうちに新しいものに変え、古いと言われないうちに新しくする、軽薄な風潮の現代、「正しく時代に遅れよう」という逆説的もの言いは、決して聞き捨てにはなるまい。