ふるさとの川辺に河津桜ありわざわざ遠くへ行かなくていい
芝桜緋色緻密や愛なき婚 楠本健吉
旅果ての眠たさにあり芝桜 伊藤淳子
若き父のまあるい眼鏡芝桜 遠藤秀子
芝桜会う約束もない休日 剣持雅舟
◎春雪の不貞の面て擲ち給へ
◎冬の月少女花うり店しまふ
◎夫ならぬひとによりそふ青嵐
◎秋ゆふべねじ切るわざを見てならふ
◎あきのあめ襟の黒子をいはれけり
◎湯の中に乳房いとしく秋の夜
◎しぐるるや掌をかさねおく膝の上
◎欲るこころ手袋の指器に触るる
◎実石榴のかつと割れたる情痴かな
◎秘め箱に紐かけておく椿かな
◎まぐはひのしづかなるあめ居とりまく
◎裸か未股の血脈うをく引き
◎情慾や乱雲とみにかたち変へ
◎葉の蔭にはづす耳環や汗ばみて
◎熱哀し蒲団のそとに置く片手
◎一葉の死せし歳過ぐ冷やこき手
◎わが五指がさくらはなびら散らしけり
◎天の河つねに悲恋は姉娘
◎風鈴や枕に伏してしくしく涕く
◎娼婦またよきか熟れたる柿食うぶ
◎裸か身や股の血脈あをく引き
◎寒菊や荒るることなき素顔の膚
◎早梅や人より多き希ひごと
◎吹く息が菊はなびらの塵たたす
◎春ひかり豆腐横たふ皿の上
穏やかで 平和な 瀬戸内 燧灘(ひうちなだ) 世界の戦争 他所事として
ニ三日彼岸の前の寒さかな
連れ立って彼岸詣や六十年
二十基の知らぬ先祖や彼岸詣
叔父叔母のひょこひょこ彼岸詣かな
都から彼岸詣に来ると言ふ
忘れてはいなかったのか彼岸詣
菜の花も添へて彼岸参りかな
花芝が長持ちのする彼岸参り
母方の方が気の向く彼岸参り
戦没の叔父二人あり彼岸参り
戦いはスポーツだけでいいのです国と国との戦い止めよ
争いはスポーツだけでいいのです国と国との争い止めよ
競うこと文化だけでいいので軍事競争愚の至りなり
人として恥ずべきことを繰り返し戦勝という愚冠かむるか
勝ち戦さその反対の負け戦さその交戦を許したのは誰
敵倒し殺戮重ね人間の最悪Scenarioを戦争と言う
相手国の子供攫ってゆく行為戦犯という悪行の限り
列強の世界の悪事戦争を許していいのか現今の醜
戦争は絶対してはなりませぬスポーツ文化で身心鍛えよ
交戦国叩きのめしたい気はあれど暴力解決してはならない
山崎宗鑑(やまざきそうかん)
【父祖】近江源氏佐々木秀義五男左衛門義清の後裔(山崎離宮八幡井尻の子、八条之小野光家朝臣の孫とも言われる)
【幼名】志那弥三郎憲重(範永)
【在俗】第9代将軍足利義尚の侍童・右筆
【出家】25歳、延徳元年(1489)3月、同年齢の足利義尚陣没直後
【出家後】〇尼ケ崎時代(数年) ◎山崎時代(30歳頃~64歳頃)近くに離宮八幡宮あり、霊泉連歌講など俳諧連歌講など俳諧連歌を広める。庸書にも応じていた。
◎讃岐時代(64歳頃~89歳)25年間
〔一夜庵〕臨済宗東福寺派興昌寺境内の草庵。旧知の梅谷和尚を頼って来讃。
【死没】天文22年10月2日89歳
【辞世】宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと言へ(伝承歌)
【年忌】450年忌 平成16年(2004)11月7日