山崎宗鑑略伝

山崎宗鑑(やまざきそうかん)  

  天文22年(1553)没 行年89歳 戦国時代の俳諧連歌師 

【出身】近江国志那郷(現在、滋賀県草津市志那町)

【父祖】近江源氏佐々木秀義五男左衛門義清の後裔(山崎離宮八幡井尻の子、八条之小野光家朝臣の孫とも言われる)

【幼名】志那弥三郎憲重(範永)

【在俗】第9代将軍足利義尚の侍童・右筆

【出家】25歳、延徳元年(1489)3月、同年齢の足利義尚陣没直後

【出家後】〇尼ケ崎時代(数年) ◎山崎時代(30歳頃~64歳頃)近くに離宮八幡宮あり、霊泉連歌講など俳諧連歌講など俳諧連歌を広める。庸書にも応じていた。

◎讃岐時代(64歳頃~89歳)25年間

〔一夜庵〕臨済宗東福寺派興昌寺境内の草庵。旧知の梅谷和尚を頼って来讃。

【死没】天文22年10月2日89歳

【辞世】宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと言へ(伝承歌)

【年忌】450年忌 平成16年(2004)11月7日