山崎宗鑑(やまざきそうかん)
【父祖】近江源氏佐々木秀義五男左衛門義清の後裔(山崎離宮八幡井尻の子、八条之小野光家朝臣の孫とも言われる)
【幼名】志那弥三郎憲重(範永)
【在俗】第9代将軍足利義尚の侍童・右筆
【出家】25歳、延徳元年(1489)3月、同年齢の足利義尚陣没直後
【出家後】〇尼ケ崎時代(数年) ◎山崎時代(30歳頃~64歳頃)近くに離宮八幡宮あり、霊泉連歌講など俳諧連歌講など俳諧連歌を広める。庸書にも応じていた。
◎讃岐時代(64歳頃~89歳)25年間
〔一夜庵〕臨済宗東福寺派興昌寺境内の草庵。旧知の梅谷和尚を頼って来讃。
【死没】天文22年10月2日89歳
【辞世】宗鑑はどちへと人の問ふあらばちと用ありてあの世へと言へ(伝承歌)
【年忌】450年忌 平成16年(2004)11月7日