豊浜暁部隊に何を感じ取るべきか



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         豊浜暁部隊に関連して我々は何を感じ取るべきか

 暁部隊とは、戦時中に陸軍船舶幹部候補生隊の秘匿名であった。昭和19年4月29日広島市宇品からその練習部が香川県三豊郡豊浜町に移駐して、ここでは「豊浜の暁部隊」として知られていた。船舶に関する訓練をしているようであっても、海軍ではなくなぜ陸軍に属しているかは地元民に分からなかった。陸軍兵士を風雲急を告げる南海諸島に輸送し、また自らも船舶海上特攻に仕向けられることを確実には理解していなかった。学徒出陣のやむなき文系学生を中心に戦場に駆り出された年代だった。「幹部候補生」試験合格者であり、見習士官から更に将校になれるという見通しもあった。海上挺身隊マルレ要員となる覚悟までには至っていなかった。小豆島の船舶特別幹部候補生隊(少年兵)とともに十死零生の特攻へと突進することになる。生きて還った者は多くを語らないが、言葉の端々に殉死できなかった痛みを包み持っている。本当のことは語っていないし、語り尽くした記録もない。豊浜会会報がわずかにその片鱗を伝えているが、生還者の差し障りのない文言が綴られているばかりである。すでに戦後70年を越え、隊員の生存者もわずかになって、その全貌をまとめることは、不可能で絶望的である。断片的な事例を拾い集めても、当時の戦場での真相、ましてや個々人の苦悩の襞まで語り尽くすことはでるはずもない。ただ、わずかな言葉のあやによって、鋭く真意を推察して、解き明かそうとする営みは後世人の使命である。
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