我が郷土「柞田一里塚」に一本の榎が植えられています。これは戦後70年を記念して地元の中出自治会が5年前に苗木を植えたもので、すくすくと育っています。
かつてはここに榎の大木の幹の部分がありましたが、海軍観音寺航空隊の飛行場建設のため、伐採されました。この辺り柞田村(甲番地出在家)のシンボルでした。
これまでの「一里山遺跡」の標識が古びたため新たにして榎も植えて、ささやかながらも郷土の史跡として後世に伝えようとしたものです。たかが一本の榎、されど榎。
江戸時代から伊予街道の【一里塚】そして太平洋戦争飛行場立ち退き移転の辛苦を忍ぶ〔無言の負の遺産〕であります。