香川県西部に残る「一里塚」跡を廻る

香川県西部  伊予街道(旧国道)沿いに6ヵ所~江戸時代の旅、一里毎に休憩所

 ●伊予街道 旧国道【西讃一里塚ウォーク実施】 1里=約4㎞

 ①三豊市三野町道免鳥坂下 老いの木   

 ②三豊市高瀬町六ッ松 池端地蔵堂

 ③三豊市豊中本山寺家 砂利場近く

 ④観音寺市柞田町中出 看板表示・榎木あり。☆

 ➄観音寺市豊浜町須賀踏切近く駐在所前 松古株

 ⑥観音寺市豊浜町箕浦 四の松

  ☆  飛行場建設で取り除かれていた所へ恒久平和を祈念して【榎木】を植える。

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 香川県に関して言えば、すでに古代から通じていた南海道に準じて伊予街道が通じていた。高松城正面の常磐橋を起点にして西に向かったものである。坂出・丸亀・善通寺を経て西讃に通じる道、それは讃岐街道と呼ばないで、伊予に通じるので通称「伊予街道」と呼ぶ。ここでは、わが郷土西讃(三豊平野)に点在する一里塚を紹介しておきたい。東から道免・六ッ松・本山(三豊市)・中出・須賀・箕浦観音寺市)この六ヶ所の一里塚。道免(三野町大見)の一里塚跡は、鳥坂峠に社地として名残りをとどめている。道免の藤田彦一宅の屋号「老の木」は、一里塚の大榎の音が転した呼び名と思われる。先祖伝来の三重の拝み石を祠に丁重に祀っている。 六ツ松(高瀬町勝間)には、地蔵堂が池の堤に建てられている。一平方メートルほどのコンクリートで囲われている。この近くに一里塚があったと思われるが、その形跡・記録は見かけない。本山(豊中町本山)の財田川堤には「一里山」の標識がかつてはあったと言われるが、今は見当たらない。中出(柞田町中出)には観音寺市文化財保護協会の名で次のような案内板が掲げられている。一里山遺跡江戸時代、高松・丸亀城下を中心として街道が整備され、高松の常磐橋を起点とする伊予街道が通じていた。街道には旅行者の便を計るため、起点より一里(36町、約4キロ)ごとに約10メートル四方の塚をつくり、松または榎を植えた。一里山・一里塚と称したが、今ではまれにしか残っていない。下野橋の東方100メートルの所に塚跡があり、榎の大木があったが、太平洋戦争中飛行場建設のため取り除かれていた。そこに今回戦後70年を記念して榎木を植樹することを提案している。