昭和12年日中戦争が始まった年に生まれた私、この度やっとこの協会に入会することができました。父が満蒙開拓青少年義勇軍香川県送出第五次照明の中隊長をしており、戦後奉天で戦病死。中国訪問は、その慰霊の一人旅と日本遺族会主催の中国慰霊友好親善訪問との二回。慰霊と共に謝罪の気持ちが中い交ぜになり、更に残留孤児への並々ならぬ関心が纏いついて離れません。何かそのことで手がかりになるものがあればと念じています。
日中史の真実をどなたかからお聞かせいただければ幸いです。かつて『大地の子』に大向こうを張って『大地の父』改題「父は還らず」の拙作もあります。第16回香川菊池寛賞は俳諧連歌師宗鑑の一代記『俳諧の風景』ですが、「父の風景」は候補作品のまま埋もれてしまった〔満洲鎮魂曲〕挽歌であります。令和3年終戦記念日に美巧社から発行された『昭和わたしの証言Ⅴ』に「鍬の戦士」と題した私の一文が載せられています。
振り返ると、昭和35年から平成10年まで香川県内の高校国語教師をした後、退職後は郷土の戦争遺跡や軍人墓碑の調査、戦没者の慰霊に過ごしております。特に日中国交回復に尽力された大平総理は母校の大先輩であり、その展墓を続けております。墓碑銘は絶品「君は永遠の今に生き、現職総理として死す、理想を求めて倦まず、斃れて後已まざりき」伊藤正義の撰。「永遠の今」に生きていて、逝去年月日が墓碑に刻まれていません。