今年は戦後78年と言っても、一般的に心に響くものがない。終戦記念日にでもなれば、また別である。今はその半年前なので、インパクトがない。自分の個人的立場からいえば、多少節目にはなると勝手に思っている。2 月15 日には市の女性大学で「平和の礎-戦没者の慰霊ー」と題して講演が予定されている。
女性大学は、かつて婦人大学と称されとていた昭和62年に「西行伝説について」講じたことがある。それから18年経って平成16年「今、松に学ぶこと」と題して講じた。更に18 年経って今回自分のライフワーク【戦没者の鎮魂】になったわけである。
資料は18 頁、カラー刷り、30部自分で印刷して綴じた。出席者には足りない分主催者が増刷してくれている。時間は60分。何時間でもほしいところだが、そんなことは言っておられない。いかに手際よく要点をしぼって話すか。これまで数十年に80 回は県下各地で講演しているので、要領は分かっているつもりである。
おそらく自分の人生最後の最終講演となるので、多少長引くかも知れないが、許してもらえるか。高校教師退職後25年間、『万葉集』を中心とした古典講座500時間は続けただろう。万葉学者鹿持雅澄にあやかって剣持雅澄を筆名とした畢生の営為であった。戦没の殉国者亡父の遺志を継ぐ行為でもあった。
令和5年の今、何が急務かと言えば、恒久平和を謳っているはずの「日本国憲法」の揺さぶりである。周囲の状況次第でいつでも戦争ができる。専守防衛とは言いながら一旦戦争に巻き込まれば、泥沼に入ることは間違いない。昭和15 年戦争を知らない者ばかりの世の中になる。すでにもう孫に戦争の実体験の話など出来なくなっている現在、今のうちに【足元の過去点検】をあえてしておかねばならない。資格はほとんどない〔戦争の語り部〕はあなたの老後の使命に属するかもしれない。今では数少なくなった①戦争体験の聞き書き。②軍人墓地の永久保存。これくらいは今のうちに出来るはずである。形あるものとして残しておかなければ、戦争の記憶は薄れ、易々といつのまにか戦禍に巻き込まれることは、火を見るより明らかである。不戦の誓い、今我々に出来ることは何か、日本人が今しなければならないことは何なのか見極めたい。「非核都市宣言」の懸垂幕が数年で市役所から降ろされた。 (令和5年2月15日)