先輩文庫に自著ご寄贈を

ジブンノ自分の著した本を母校観一「先輩文庫」へ寄贈してください。
 「観音寺一高先輩文庫」は昭和56年より集め始めた観音寺一高の同窓生が寄贈した著書を言う。『先輩文庫500冊』は、平成22年(2010年)創立110周年にすでにまとめて出している。簡単にその内容を解説紹介したものである。
 古くは、旧制三豊中学校・三豊女学校、観音寺一高卒業の同窓生の著作物を献本していただき、大切に保存している。平成28年9月現在、母校百周年記念館に725冊収納されているが、今後更に多く収蔵し、母校後輩の参考図書に供したいと願っている。
 他人の著した、個人所有蔵書本ではなく、あくまでも「自著」でありさえすれば形式内容は問わない。単独執筆を原則としているが、共著でもかまわないことになっている。体裁も私家版ふうに製本されたもの、内容も「自分史」のようなものもいい。
 卒業後「自分はこのように生きてきた」というような体験記を自分でまとめ、綴じて製本したもの、それでいい。自分のような者がということはない。有名無名を問わず、一人ひとりが懸命に生きてきたことが尊い。それが同窓のよしみで読めるところがいい。
 大手出版社から発行される直木賞作家芦原すなお(本名、蔦原直昭)の本も、無名の同窓生の私家版の本もみな同じく【先輩文庫】に並べている。価値判断や評価をすることはない。はからずも同窓というよしみで生きた証しをここに集積保存しておきたい。
 出来るだけ多くの人が「かけがえのない自分の本」を一冊(できれば二冊)母校へご寄贈献本してください。よろしくお願いします。
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        「随筆無帽」五四七号草稿     先 輩 文 庫   
 芦原すなお(本名、蔦原直昭)が「青春デンデケデケデケ」で文芸賞を受賞した時、母校観一に奉職していた私は、地元で祝賀会を主催いたしました。市長初め二百人近く集まったかと思います。その後、励ます会を立ち上げたのも束の間、そんなものが必要ないほど、直木賞受賞、映画化など、この愉快なる小説は脚光を浴びることになり、「芦原すなお愛読者の会」も影が薄くなりました。それでも、「愛読者通信」はその後もほそぼそと出しております。本人から寄贈される新刊の案内を中心として感想も掲載しています。また、観音寺市立図書館二階には芦原すなお寄贈図書コーナーがあるようですが、すべて揃っているかどうかは知りません。
 さて、母校観一には、芦原すなおは言うまでもなく、同校卒業生の著作を「先輩文庫」として収集しています。只今三百冊近くなりましたが、二千冊を目標に頑張っています。これまでこのことに関して周知が十分でありませんでした。それで、もっと広く呼びかけたいところですが、なかなかゆきわたりません。来年が創立百十周年になるので、百周年記念館内の充実ということで、今年が勝負どころでしょうか。本人が自発的に寄贈してくれたら一番いいのですが、自分史など作っていても、なかなか納本してくれないのが実情です。
 最も著名な人は故大平正芳元総理でしょう。校庭の銅像は「大平正芳先輩」と刻まれています。決して大平総理といういかめしい名称ではありません。にこやかに微笑みかけてくれる先輩大平さんです。著書は『永遠の今・大平正芳回想録』『大平正芳私の履歴書』『去華就実』『硯滴』など。市内にある大平正芳記念館にある膨大な蔵書に比べられない乏しさです。
 次に誰がくるか、それはまったく分からないほど、知名度で段差があります。前述の直木賞作家芦原すなおが表看板に掲げられるのでしょうが、団塊の世代で目下活躍中で、真の評価は時が経たねば分からないところです。
 そもそも、著作物だけで人間を評価するというのは、早計でしょう。世のため、人のため人目にかからないところで、慈善事業などをしている人もあれば、営々と企業発展に貢献しその道に命をかけている人もありましょう。極端な見方で「本にして自己宣伝するのは邪道」と思っている人もあります。書籍には著さない、その道に専念して余念のない、立派な方々がたくさんいることに思いいたらねばならないでしょう。
 しかし、そこまで広く総合判断して人物評価するのは、差し出がましいことです。今私どものしていることは、たまたま印刷物に発表表現した人の成果を保存活用したいということです。
 自分の母校の先輩が著した本にはどんなものがあるか、知りたい人があった時には、利用できるように収集しておくことでいいのだと思っています。これは、学校と同窓会、また地域共同体がいっしょになってやるべきことだろうと思います。伝統文化を大切にする具体的方便として、先輩の著述が読めるところに置いてあると、それが容易になるでしょう。
これが役に立つのはどんな場合があるでしょうか。在校生として、例えば教科書に載せられている作品の出典などが、先輩文庫にあるならば、心の通うつながりが生まれてくることでしょう。
その二、三の例を挙げてみますと、
高校の現代文の教科書に出てくることのある作家高橋和巳、詩人森川義信
高橋和巳は小説よりは評論の方が多く採用されています。
森川義信は「荒地」の詩人鮎川信夫の親友として出てくる。戦争で「死んだ男」の幻影として。単独では「勾配」という題名で底の深い内容をもつ詩の作者として紹介されています。神奈川近代文学館には森川義信に関する資料が付託されていますが、母校資料館にも在学中の作品が大切に保存され、私どもも鋭意資料を収集しています。
 『讃岐文学散歩』では、河田誠一を取り上げて、森川義信をもらしていますが、これは取材が十分でなかったと言わねばなりません。両者とも大切にしてほしい、天才詩人・夭折詩人であることは言うまでもありません。
昭和九年二十四歳病没の河田誠一には『河田誠一詩集』(昭和十五年刊)があり、昭和十七年に十五歳戦病死の森川義信には『森川義信詩集』(昭和年刊)があります。どちらにも詩才の輝きはあり、訴えるものはありますが、後者がやはり内面の深さにおいて優れたものがあるように思われます。
文学関係に限定して、以下二三の人を簡単に紹介しておきます。関連資料をお持ちの方は、ご協力ください。
ヘルマンヘッセの研究で知られるドイツ文学者秋山六郎兵衛(昭和四十六年没)、トーマスマンの翻訳で知られるドイツ文学者福田宏年、太宰治の研究で知られる国文学者山内祥史(以上敬称略)  ◎先輩文庫を充実したいと念じています。