2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ヒロシマ75年(10 首歌)

あゝ許すまじ原爆を 七十五年草木が生えぬと恐れたり以来七十五年が経過 黒焦げの人の転がるヒロシマのその惨状の真っただ中に 今日一日何も手つかずヒロシマの理不尽の禍を怨んで居たり 身の回り被爆死の墓に詣でたり知らずにそこで煽りを受けて 遊学の地を…

明日75年前 ヒロシマ被爆。

父母子三人並んだ被爆者碑 紙で作って前夜も拝む 十七歳娘が戦死とされている広島軍需監督局勤務 転勤で広島に住んでいたために被爆死しました父母と三人で 【父五十歳 母四十三歳 私美智子十七歳 いつまで経ってもこのままの歳】 〈南無妙法蓮華経〉 皆々様…

酔芙蓉

酔芙蓉君にいちばんいい毒を 中村浩治 ※この物騒な一句どう読む?

ノラク~ラ10首

ノラク~ラ一日部屋に閉じ籠りテレビ見てたら腐って仕舞ふ いざゆかん野越え山越え海辺越え何やらゆかしきものに遇はむと monoよりはがいいけど期待薄何か惹かれるmonoを求めて など乗るのはよそうバイシクル銀輪光らせ野山を馳せむ ひらめいた詩句書きつけ…

夏ほととぎす秋は月

青春 朱夏 白秋 玄冬 自然が循環するように人生も循環しないものか 春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪冴えて冷(すず)しかりけり 道元禅師 ※「冷涼」を想起すべし

結果よりも過程10首

努力せず結果がいつもいい人を羨むことの多かりし過去 成績より努力しましたと慰め事言ってくれたる教師もありき 生まれつき頭のいい人やはりあり情けないけど負け犬の我 努力だけは人一倍も三倍もしたけどいつも八割止まり 最終の勝敗がすべての世の中に挫…

お盆も近い故大平総理の墓前 

院殿居士の戒名14文字 観音寺市豊浜墓地公園は整然と区画整理されて、その入り口の高台に大平さんの墓碑があります。普段お参りする人は小生以外にそう多くいるとは思われません。 これは母校観一の校庭に建つ小平正芳先輩の胸像。 「一言は重く、百金は軽…

舟虫がこんなに青いとは

よく見たことなかったけど、舟虫って太古の化石みたいな変な生き物だよね。

椋鳥夕べの集合

「今日も一日暑かったね」 「人間なんかどこ吹く風よ」「自由に空を飛べないで、皆マスクしちゃってね」 「憐れよね」 「ま、なにかのツケかもよ」

コロナなど蚊帳の外【渚は永遠】

讃岐仁尾父母ヶ浜は人まばらコロナ自粛で閑散も佳し 往年のサンビーチも閑散とこれがほんとの自然海岸 釣り友とこの美しき瀬戸内の渚あゆむも至福て言はむ

近づく8月㏥(16歳の戦没者も)

★西讃の広島原爆戦死者は次の四人である。 浮田延治郎 昭和二十年八月六日没 満州新京岩光隊より内地帰国 広島師団へ代理出張、不運に も被爆死。行年三十二歳 (八幡町興昌寺山墓地) 森孝太郎 昭和二十年八月六日没 広島市中国憲兵隊司令部服務 中被爆死。…

真夏の最中に秋の気配

急に季節は変わらない。真夏の景物の中にも、秋の気配はすでに忍び寄っている。 人の命も又、青壮年のうちに老いはどこかに目に見えぬ形で忍び寄っている。

持つべきものは、親友(心友)

森川義信は小学校時代の幼馴染の友人が戦死した直後、その死を悼む詩を作りました。 そのような情の厚い森川であるからこそ、彼が戦死した後すぐ、大学時代の親友鮎川信夫が森川を悼む挽歌「死んだ男」の名詩を詠んでくれました。日本の詩壇に永久に残る【挽…

絞首刑

この墓碑の最後に ⋯⋯南方方面にて転戦終戦後戦犯として英國軍法会議に於て絞首刑の判決を受け昭和二十一年七月十一日英領チャンギーに於て身の潔白を叫び祖国の繁栄と家族の多幸を祈りつつ従容として死に就く嗚呼何ぞ其の死の壮なる 時年三十六歳 墓碑に彫り…

【非望】とは?

馴染みのない言葉ですが、【非望】という単語が「勾配」と題する森川義信の詩の冒頭に二回繰り返されています。ともすると、「失望」「絶望」を連想されるでしょうが、「野望」に近く、「大それた望み」ですから、前向きの希望です。辞書の説明では「身分不…