令と和の関係


       令と和の語構成

「平成」が「平和に成る」ほどの意味として使っていて、異存はなかったように思う。それに対して「令和」はどうか。
「令」の意外性、突然変異。まずもって「命令」「指令」の冷たさが先立ち、少し遅れて「令嬢」「令息」は後から「いい意味」もあるのかと思い返す。かてて加えて「昭和」の後に「和」はないだろう。もっぱらの予想を完全に裏切って新元号
「令」は「よい」でいい。「和」は「なごやか」「やわらか」である。「平和」の「和」とみて名詞か、形容動詞にもなる。
何が問題なのかと言えば、令が和と並列対等なのか、修飾・被修飾なのかということである。
  記号で示せば、 「令+和」なのか「令→和」であって、自明のものではない。
 考案者の新造語はその見解を本人に任せるしかなく、今のところ修飾でいいと言っているようである。
参考になるのは、大野原中学校の校訓の中の「介・和」である。自立を大切にする「介」と和合を大切にする「和」である。介和と令和を比べてみると、どちらも大切なことを意図している構成である。縦軸としての尊敬の念、横軸としての友愛の心、その両者を共に大切にということになる。
 校訓も元号も意図するもの、未来に向かって進む指針になるようなものでありたい。校訓は指導理念が入って当り前だろう。元号は国家の未来の安寧を希求するものであるべきものだろう。意味合いが違っていてもどこかに通じるものがあるかもしれない。
 中西先生曰く「令(うるわ)しく平和」な世の中になるような願いがこめられている。
 蛇足的に言えば、付和雷同ではない、端正怜悧、ひきしまった美麗でなければなるまい。