海軍観音寺「柞田飛行場」略述

一、名称について

 正式名称ではなく、通称「柞田飛行場」として柞田地区では使っている。常磐村では「常磐飛行場」、紀伊村では「木之郷飛行場」と用いている。「海軍航空隊観音寺飛行場」というのか全国に通用する正式名称である。

二、柞田飛行場

 立ち退き移転350戸中250戸が柞田村出在家(上出・中出・下出)であり、多くの人に分かりやすい地名として「柞田飛行場」の俗称を地元では用いている。正式の「観音寺飛行場」では「観音寺町」がイメージされてしっくりしない。

三、顛末略述

昭和十八年二月 軍用飛行場として香川県では詫間・林・観音寺の三ヶ所に白羽の矢。

昭和十九年一月 柞田国民学校で関係者説明会 四月 三五十戸立ち退き移転開始。

昭和二十年三月 九州鹿児島県国分隊が移転開隊

昭和二十年五月 第五航空隊に編入 中練特攻の訓練実施

昭和二十年八月十五日 終戦 その後元の地へ復帰

昭和二十年十一月 米軍ミラー中尉を隊長として観音寺航空隊物資等摂収

四、参考

 かつてこの地は、陸軍特別大演習の西軍の仮飛行場であった。

大正十一年十一月昭和天皇が摂政の宮であった時のこと、(東軍は高松林)