この村里には、たくさんの人が住んでいました。五十年前に住んでいた人々のことを知っている人は僅かです。百年前の人々のことは誰も知っていません。みんな、今生きることが精一杯ですから、ここにいない人のことなど全く頭にありませんね。
人は死んで何になるのでしょうか。日本の庶民の多くは土饅頭になり、やがて小さな目印も誰のやら分からなくなり、無縁仏にでもなればいい方です。もっとも、戦後は軍人墓地でまとめて葬ってくれたのはいい方です。それも次第に姿を消しているようです。
時には虹となって、その思いを空に弧を描くこともありますが、気がついてくれる人はありません。子供を残せなかった人はここには慕ってくれる肉親はいません。親たちもこの世にいませんので、他人ばかりであります。愛し合った人、憎み合った人、そんなはかない縁しなどどういうこともありません。
ご存じでしょうか。梟こと方言で「ふるつく」夜デーシ、コーシと鳴くんです。死者の魂が還ってくるようで哀愁がありました。今では鎮守の森が伐り払われ、神の住まぬ村里になりました。どんな村にも穏健な村人が棲んでいましたが、今はどことも市民です。村人は一人もいません。世知辛い世の中に、浮世離れした遊び人も隠者風の雅人もいません。そういうことにしておけばいいのでしょう。そうしておかないと、市民権を奪取されることになりますから。