初めての朗唱夜会で

『万葉の旅』犬養孝
 
 犬養孝先生は、忘れもしない平成10年10月3日91歳で亡くなられた。時あたかも富山県高岡市万葉集全巻朗読の初日だった。夜の会で中西進先生によって訃報が参加者に知らされ、はるかに黙祷を捧げたことを思い出す。第1巻冒頭の数首は犬養先生が朗唱されるのが慣わしになっていたのである。この席に臨んでいて、しきりに万葉の「挽歌」というものを考えていたのを思い出す。
 本書下巻はその越中富山も国庁趾の家持の名歌を中心に紹介されている。
もののふの八十娘子らが汲みまがふ寺井の上のかたかごの花(巻19ー4143)
 この地のかたかごの群落自生地を紹介している。国庁附近では伏木一宮の雑木林にだけかたかごの群落自生地があるという。勝興寺の西北一宮赤坂谷には清泉があったという。清泉とかたかご群生地は100米しか離れていないという。
 本書には、山陽・山陰・四国・九州の各県と北陸は福井県・石川県・新潟県、そして富山県が取り上げられている。都から遠く離れた、天ざかる夷の風土の中で詠まれた歌の立地条件が述べられている。文芸の風土性はあくまでも文芸の造形を通してなされねばならない、と著者の言葉があるのも納得できる。万葉歌はあくまでもその歌の作られた時代と風土の直中において捉えねばならないと繰り返し力説されている。