戦争の語り部として


        戦争の語り部として

 今年は平成30年、戦後73年目、昭和93年ですね。
 次の年号は何になるのでしょうか。久遠の平和を希求し、生類共生を祈願したいので、こんな語句であってもいい気がしますが、どうなるのでしょう。制定委員会が発足されたとも聞いていないので、声がかかれば誰より先に富んでいきたい気がします。激動の昭和、安閑とした平成。ここで改めて日本の針路を見定めたいものですから、せめて年号に祈りを込めようではありませぬか。「新生」「共立」「日進」としても辞書に載せられている単語は駄目のはずです。再び戦争協力態勢に流れていきそうなに昨今に憂慮し、ずばり「不戦」「不争」とする夢想もあるか。
 さて、先の戦争において戦争犠牲者は、日本で何百万人、世界で何千万人とも言われているようですが、身の回りでは5軒に1軒は戦没者がいて、祖父母よりももう一代上の世代かもしれませんね。
  戦争を知らないおじいちゃん、おばあちゃんに戦争体験を聞かせてもらえないのは、何か淋しい気がしませんか。
「ひもじい思いをして、何でもいいからお腹一杯食べたかったなあ」などと言う祖父母が少なくなっているとは⋯⋯
 たとえ、戦時中の体験がある祖父母にしても、苦労話をしても「ろくろく聞いてくれんから、あまり孫にも言わない」とか老人同士話すことがよくある気がするのです。
 児童生徒が小学校・中学校で「平和教育」の名のもとに体験学習・郷土史研究などをするのは誠に好ましいことであると思います。私も及ばずながら、声がかかれば子供たちの前で【戦争の語り部】の役割を果たしています。もうすでに語り部として戦場体験者は少なくなっているが、未成年者で疎開・空襲を知っている人はまだ多く健在でありましょう。今のうちに、戦争の恐さと不条理さを身を以て体験したことを一部なりとも語り継ぎたいものであります。これを怠っていると、次代ではやすやすと戦争の渦中に引き込まれていくような気がしてなりません。
 誤った国策を従順に無批判に盲従した過去の歴史は、決して繰り返してはなりません。愚かな為政者はもうたくさんです。いくら理屈をつけても、国と国との戦争は永久に断じてしてはなりまのせん。手助けもしてはなりません。愚かな国になり下がってはなりません。一見平和に見えても、一触即発、戦争になりかねない国際紛争の多いこと、目も当てられません。境界になる小さな島で大きな国も小さな国も、あさましく我が領土と言い張る、なんと愚劣な国々でしょう。人類は昔から今も凝りもせず他国と争う悪癖を脱しきれずうごめいていますね。
 どうしたらいいものでしょうか。天罰を与えてくれるものなら、それにお任せしますか。愚かな、この上なく愚かな国だけに与えられたらいいようなものを、巻き添えに見舞われる【人類全滅】はそうむつかしいものではなさそうですね。以て瞑すべし。
 平成30年2月20日、戦後俳句の旗頭であった金子兜太(98歳)が亡くなった。海軍主計中尉として南洋トラック島で死線をさまよい、戦後帰還した。多くの戦友を戦地に失った後ろめたさと反戦の思いが強く現れた詠句に心打たれる。 「水脈の果 炎天の墓碑を置きて去る  兜太」 
 純語り部の次第に少なくなっていく平成末年、準語り部として私の果たす役割は大きくなっていく。