「令和」考~万葉享楽の中で~

 
 新元号の予想をし合った。万葉講座の仲間たちである。去年の暮れから平成三十一年三月末日まで、ずばり的中を目指したが、見事はずされた。誰が一体予想できただろう。
「新しい元号は令和です」と示された「令」には、唖然とした。「令」の字体にも一瞬、目を疑った。縦線で少し跳ねている。書きなれた「マ」ではない。おまけに「令嬢」ではなく「令状」「命令」の硬さ。それに「和」は昭和があるからこれはないはずだった。「永和」を予想した人は何人もあった。Rを付ければ「令」となるので残念賞だ。
万葉集』から採られるとは想定内ではあったが、記紀歌謡の方が本命ではあった。万葉仮名での和歌は元号に採りにくいと判断して軽く見ていただけに、『万葉集』からであると知らされ、足元をすくわれる気がした。
 巻第五雑歌「天平二年正月十三日、帥老の宅に集まりて、宴会を申ぶ。時に初春令月、気淑く風和ぎ」と続く。この「令月」の「令」と「風和」の「和」を合わせたものである。中西進訳では「好き月」、「令は嘉」、伊藤博訳では「佳き月」訳している。諸橋徹次著『大漢和辞典』によれば「令、善也」の例を多く引いている。『詩経』『書経』『礼記』などである。すなわち「よい」の漢字は好・嘉・佳・善とまちまちである。「好み」によるもので、どれでなければならないということにはなるまい。ただこの場面の雰囲気からすれば、淑気満ち、佳人の集まる佳境であるから「佳い」が相応しいのかもしれない。令=佳と規定すると反論が出てくるはずである。日本語(大和言葉)のかな書きはありがたく「よい」と表記しておけばいい。
 常用漢字音訓表に「令」は音読み「レイ」しか認められていないが、次に改訂がある時には、ぜひ訓読み「よい」を追加してほしい。「令」は「年令」と小学校で教える場合、一般には「年齢」と書くと補足するのか知らない。「命令」してきちんと教育させようとするのもいいが、「いい」雰囲気で「うるわしい」のがいい。良い悪い、善悪判断を迫るちまちました教育薫陶をされたのでは復古調になる。
万葉集』は「愛国百人一首」に多く採用され、戦意高揚に利用された。『万葉集古義』の著者鹿持雅澄にあやかって私の名は付けられた。憂国の志士は皇国の民として子を育てようとしたのか。
 万葉の心は「気高いものへの尊敬」が「令」、「共感し合う感情」が「和」である。「生命の躍動とその賛歌」である永遠の古典を純粋な気持ちで愛唱し続けたい。筆ペンで万葉歌四五一六首色紙に書いて皆さんと共有している。楽しいことである。
 

イメージ 1

イメージ 2