憂国の志士

七十年前の中学時代、自習の監督に校長が来て、いきなり「憂国の志士」と大きく板書した。そして、おもむろにここに居るN君の父親は満蒙開拓青少年義勇軍の中隊長として志願し、戦死したことを語るのだった。戦後10年も経たない時のことで、生徒の方も戦争の翳を引きずっていて、話は浮ついたことではなかった。級友の誰も憶えているはずはないが、遺児の私が忘れるはずはない。なぜ、皆の前でそんなことを紹介したのか、今もって推し測れることではない。ふと、思いつくのは「浅はかにも、国のために殉死した先輩への憐み」をその遺児に向かって言ったのではないかと思う。その後いっ
さい校長(半世紀前逝去)と私の間でそのことを語ったことはない。

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