実タチバナ(記紀・万葉集に見る)

日本書紀垂仁天皇紀によれば、垂仁天皇90年2月1日に田道間守は天皇の命により「非時香菓(ときじくのかくのみ)」すなわちタチバナ(橘)を求めに常世の国に派遣された。しかし垂仁天皇99年7月1日天皇崩御する。翌年(景行天皇元年)3月12日、田道間守は非時香菓8竿8縵(やほこやかげ:竿・縵は助数詞で、葉をとった8枝・葉のついた8枝の意味)を持って常世国から帰ってきたが、天皇がすでに崩御したことを聞き、嘆き悲しんで天皇の陵で自殺したという

古事記垂仁天皇段によれば、多遅摩毛理は「登岐士玖能迦玖能木実(ときじくのかくのこのみ)」(同じく橘)を求めに常世国に遣わされた。多遅摩毛理は常世国に着くとその実を取り、縵8縵・矛8矛を持って帰ってきた。しかしその間に天皇崩御していたため、縵4縵・矛4矛を分けて大后に献上し、もう縵4縵・矛4矛を天皇の陵の入り口に供え置いて泣き叫んだが、その末に遂に死んだという。

万葉集』巻18 4063番では田道間守の派遣伝承を前提とした歌が、巻18 4111番(反歌4112番)では田道間守を題材とする歌が載せられている

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剣持屋敷のタチバナ