香川県・愛媛県空襲

 香川県【高松空襲】は、1945年( 昭和20年)7月4日の 午前 2時56分から午前4時42分にかけて アメリカ軍 により行われた。高松市 に対する空襲(戦略爆撃)である。この空襲では連合軍(アメリカ軍)爆撃機 ボーイング B-29 およそ116機が用いられ、爆撃を受けた高松市では空襲警報が解除された後の不意打ちであった。1945年(昭和20年)7月3日 午後4時23分(日本時間)、 マリアナ諸島 の グアム ・ サイパンテニアン の3島4基地から、 姫路・徳島・高知、そして高松への爆撃のため501機の B-29爆撃機が出撃し、硫黄島を経由して、それぞれの都市へと向かった。

 愛媛県今治空襲】は、昭和20年(1945)3月18日に松山、今治へ行われ、本格的な爆撃をはじめて受けたのは今治市。4月26日、午前九時頃にB29の編隊があらわれ、その内の4機が攻撃を開始した。今治駅ほか約120個の爆弾が落とされるとともに、機銃掃射を受け、死者68名、重傷者34名を出す。

 二回目の今治空襲は、5月8日に約1時間の波状攻撃が行われ、今治女学校の生徒11人が姫坂山に避難したが、爆死。29名が死亡。

 三回目は8月5日には、B29数十機が飛来し、午後11時50分より2時間にわたって空襲。その前日には、空襲の予告ビラが撒かれ、死者454名、重傷者150名、全焼家屋8199戸、被災者3万人以上の大きな被害があった。