大伴家持「防人の別れを悲しむ歌」

 

万葉集』巻二十 大伴家持長歌及び反歌

防人の悲別わかれこころを陳ぶる歌一首、また短歌

4408 大王の まけのまにまに 島守さきもりに 我が発ち来れば
ははそ葉の 母の命は 御裳みもの裾 摘み上げ掻き撫で ちちの実の 父の命は 栲綱たくづぬの 白髭の上ゆ 涙垂り 嘆きのたばく 鹿子かこじもの ただ独りして 朝戸出の かなしきが子 あら玉の 年の緒長く 相見ずは 恋しくあるべし 今日だにも 言問ことどひせむと 惜しみつつ 悲しびいませ 若草の 妻も子どもも をちこちに さはに囲み居 春鳥の 声のさまよひ 白妙の 袖泣き濡らし たづさはり 別れかてにと 引き留め 慕ひしものを 天皇おほきみの 命かしこみ 玉ほこの 道に出で立ち 岡の崎 いたむむるごとに  よろづたび かへり見しつつ はろばろに 別れし来れば 思ふそら 安くもあらず 恋ふるそら 苦しきものを うつせみの 世の人なれば 玉きはる 命も知らず 海原の かしこき道を 島伝ひ い榜ぎ渡りて あり巡り 我が来るまでに 平らけく 親はいまさね つつみなく 妻は待たせと 住吉すみのえの 統神すめかみに ぬさまつり 祈りまうして 難波津に 船を浮け据ゑ 八十楫やそかき 水手かこととのへて 朝開き は榜ぎ出ぬと 家に告げこそ

反し歌

4409 家人いへびとの斎へにかあらむ平らけく船出はしぬと親にまうさね 

4410 み空行く雲も使と人は言へど家苞いへづと遣らむたづき知らずも

4411 家苞に貝そひりへる浜波はいやしくしくに高く寄す

大伴家持延暦四年(785)八月二十八日死没。剣持雅澄(筆名)は昭和十二年(1913)八月二十八日生誕。家持の死後1237年後であった。江戸時代には土佐人・鹿持雅澄が『万葉集古義』を著したが、そして令和四年(2022)三月五日観音寺市立図書館で野口雅澄(本名)は「万葉防人の歌」と題して講演の予定である。