小豆島は連翹レンギョウの島

 小豆島は二つの顔を持っている。オリーブに象徴される平和で明るい観光の顔と、連翹で象徴される古里の魂とも言うべき純朴の顔である。私はこの島の素顔、島裏の風景を殊更愛し、三年間若き日を送った。至福の青春期であったと思う。私の絵画・文芸・詩歌の原風景もここに発している。小豆島をオリーブの島と呼ばずに「連翹の島」と呼ぶのは私だけで、誰も賛同してくれる人はいないように思う。それでも、五月が来れば寒霞渓山地にショウドシマレンギョウと呼ばれる小豆島自生の連翹はその「心のふるさと」に咲く。

 小豆島連翹の歌(作詞・剣持雅澄 作曲・市原和代 編曲・大出孝祐香大教授)

光かすかな島裏に/淡い黄の花ぬれて咲く/ひそかな恋の涙花/あゝ連翹に雨が降る

風爽かな島山に/人知れず咲いて散っていく/悲しい愛の十字花/あゝ連翹に風が吹く

夢もはるかな島影に/島の娘は耐えていく/明日への夢を灯す花/あゝ連翹に光射す

「ブラックプリンス」とは、新任教師の私に付けられたニックネーム。だっこちゃんと言われるよりは、この方がいいのではと土高新聞「先生戯評」で取り上げてくれたことがある。私の顔立ちが皇太子(後の平成天皇)に似ていることから新任教師の私に付けてくれた愛称である。この記事の執筆者は、早大に進学、高校野球の応援歌コンバットマーチを作曲した三木裕二郎君であった。

 その後数十年を経て、皇后美智子さまと共に小豆島を訪問された平成十七年秋、全く偶然そして運命的に再会することになる。彼は土庄町長として両陛下に案内する名誉に浴していた。私は教え子の結婚式にこの島に渡って来ていた。その日は島の警察の警備が厳重で、集まって来た人々に物陰にいてくれと言って回っていた。池田町中山の農村歌舞伎舞台、千枚田などをご覧になって、土庄港へ。石川さゆりの「波止場しぐれ」に歌われている島の玄関で両陛下をお見送りすることになる。その光景を目のあたりにしながら、二重三重に重なった運命の出会いに感動したものである。

 わずか三年であったが、若き日の独身教師時代を満喫したものである。そのまま棲み付いてもいいと思うくらい惚れ込んだ小豆島であったが、母の待つ故里へは絶対に帰らねばならなかった。その屈折した心を象徴するような歌をひそかに詠んでいた。

オリーブは青き音符の実を揺らせ結ばれ難き愛の符を練る

近寄らば毒を刺さむと身構へるフェニックスの倨傲を愛す

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